「暮らし」に
関する記事一覧
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【11/6(土)、11/7(日)開催】気仙沼スローフェスタ2021!
気仙沼の内湾エリアを中心に、スローフェスタを開催いたします! 「スローフード」「スローシティ」という気仙沼の取り組みを、見て・聞いて・食べて、全身で感じる2日間。 気仙沼の豊かな海と山に囲まれた内湾エリアをテーマごとにエリア分けし、各種飲食・物販エリアでの気仙沼の食材の魅力を伝える各種出店が行われるほか、講演会や展示、ステージイベントなどさまざまな学びと体験の場も! 移住をお考えの方はこの機会に気仙沼の暮らし、味覚などなど、たっぷり満喫してみてください。 ■「スローフード」「スローシティ」とは?・・・ 「スローフード」は、1986年にイタリアで始まった運動です。「ファストフード」に対し、自然の恵みを享受しながら地域の食材・食文化、それに関係する生産者や料理人を守り、 心豊かに暮らせるシステムを創ろうという「スロー」な理念に基づいた活動です。 気仙沼市は2003年に、「スローフード都市宣言」を行い、地域の食文化の維持・継承のための活動を続けてきました。 そうした活動や、持続可能な漁業をしてきた歴史が認められ、2013年には「スローシティ」に認定されました。 自然や環境、暮らし、伝統、教育、生業といった、まちを形作る全ての要素が、その豊かさを保ちながら、未来の子ども達に継がれていくように、気仙沼市ではスローシティの推進を行っています。 もっと詳しく知りたい!という方は、ぜひこちらのページを併せてご覧ください。 <イベント概要> ●会場:気仙沼市内湾エリア及び南町紫神社前商店街など ●時間:11/6(土)10:00〜16:00(予定) 11/7(日)10:00〜15:00(予定) ●入場無料 ●イベントの詳細についてはこちらをご覧ください。 ●申込み受付 当日、会場入場ゲートにおいても入場申込みの受付をしますが、感染症予防対策及び混雑回避のため事前の申込みにご協力をお願いいたします。 お申し込みについてはこちらの「入場申込み」をご覧ください。 ●お問合せ:気仙沼スローフェスタ2021実行委員会事務局 気仙沼市役所 震災復興・企画部 震災復興・企画課 TEL 0226-22-6600 ※新型コロナウイルスの感染拡大状況によって、 イベントの内容が変更、または中止になる可能性があります。
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気仙沼で暮らしている人へ
気仙沼市では、地域の方々と連携を行いながら移住してくる人の受け入れを行なっていきたいと考えております。その中で特に以下の2つについての情報を集めております。 住まい:空き家を募集しています 気仙沼での住まいとして、市内にある空き家の情報を募集しております。空き家バンクに登録して、空き家を売却・活用してみませんか?ご登録には登記や相続が必要になりますが、やり方 がわからない場合でも最初の手順からご相談にのらせていただきます。 気仙沼市空き家バンク「空き家をお持ちの方へ」 コミュニティ:移住サポーターを募集しています 移住者が地域に溶け込むために、地域のサポーターを募集しております。 スポーツが得意で一緒にする仲間を探している、自治会に所属していて移住者を迎え入れたい、団体で人を募集しているなどなど、サポーターになる人の理由もさまざまです。 サポーターは個人・団体問わず募集をしております。 サポーターの方には、イベントの際のご協力の声かけや、移住希望者が興味のあるテーマだった場合にお繋ぎさせていただくようにご連絡させていただくことがございます。 ご興味がある方はこちらまでお問い合わせください。 気仙沼市移住・定住支援センター MINATO TEL/0226-25-9119
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オンライン移住相談受付中!
気仙沼市移住・定住支援センター MINATOでは、何処にいてもみなさんが気軽にご相談できるよう、オンラインでの移住相談窓口を開設しております。 いつかは気仙沼で暮らしたいと思っている方、まずはお気軽にオンラインを使ってお話しませんか? 仕事終わりでもご相談頂けるように、18時まで受け付けています。 移住フェアよりじっくりと。 メールや電話より親密に。 オンラインツールは、zoomを利用します。初めてzoomを利用される方は、こちらから、事前のダウンロードをお願いいたします。 オンライン相談窓口は、事前予約となっています。 お申込みはこちらから! 気仙沼とどこかで。皆様と繋がれることを楽しみにしております。
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【募集終了】長期お試し移住に住宅をご提供します
気仙沼市お試し暮らしについて ※現在新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ご参加にあたって制限をかけております。 ①宮城県での緊急事態宣言適用、または気仙沼市で感染者が急増した場合、一切の受け入れを中止致します。(こちらでご確認ください) ②安全にお試し移住プログラムへご参加いただくため、事前に同意書への同意が必要となります。 ③お試し移住のための宿泊施設予約後、受け入れ中止になった場合でも、宿泊施設等のキャンセル料の一切について自己負担となりますので、予めご了承の上お申込みください(尚、宿泊施設へのキャンセルのお手続きについても、ご利用者様が必ず行なってください)。 ④気仙沼市へ来訪される3日〜前日までにPCR検査を行っていただき、その結果として陰性を証明できる方に限ります。 ※検査料は自己負担となっております。また、抗原検査ではなく、必ずPCR検査を受けていただきPCR検査結果が陰性であると証明できるもの(陰性結果証明書、検査機関から受け取ったメールやアプリの画面など)をご提示ください。 ※ワクチンを2回接種している方は事前のPCR検査を免除とさせていただきます。ご来訪時にワクチン接種証明書をお持ちください。 ⑤訪問初日に抗原検査(MINATOで用意)を受けていただき陰性の方は、お試し移住事業をご利用することができます。 対象者 ①申込時に20歳以上の方 ②気仙沼市外にお住まいで気仙沼市への移住を検討している方(※観光目的や帰省、通勤のための宿泊施設としてのご利用は受け付けておりません。) ③滞在中に1度でも「気仙沼移住体験ツアー」(※後述)に参加できる方 入居可能期間 2週間から2ヶ月(15日〜60日) 入居施設 どちらかからお選びいただきます ①市営南町二丁目住宅506号室 お試し移住住宅詳細_南町 住所 気仙沼市南町2丁目4番19号利用 想定人数 3人(※4人以上でご利用される場合の備品・生活用品のご準備はご利用者様にお願いしております。) その他詳細・写真はこちら ②市営唐桑大沢住宅105号 住所 気仙沼市唐桑町台の下15番地利用 想定人数 3人(※4人以上でご利用される場合の備品・生活用品のご準備はご利用者様にお願いしております。) その他詳細・写真はこちら 利用料金 ●どちらの施設も利用料金は共通です。 期 間 利用者負担額(1室当たり) ※消費税及び地方消費税を含みます。 14泊15日以上 29泊30日以内 施設利用料12,000円 水道光熱費 3,000円 30泊31日以上44泊45日以内 施設利用料18,000円 水道光熱費 4,500円 45泊46日以上59泊60日以内 施設利用料24,000円 水道光熱費 6,000円 付属物品 生活に必要な家具・家電・寝具などはご用意しております。詳しい備品一覧はこちらをご覧ください。 また、生活用品等一覧はこちらをご覧ください。(※アメニティや食材・調味料などは利用者負担(持参)でお願いします。)(※各施設3人分の備品・生活用品を準備しております。それ以上の人数でご利用される場合はご自身でのご準備をお願いしております。) 交通事情 滞在中は、自家用車またはレンタカーでの移動を推奨します。 利用開始フロー ① 応募受付随時行なっております。 受付は、利用開始希望日の4週間〜2ヶ月前になります。 お申し込みフォームより面談日をご入力ください。(申し込みフォームのご利用が難しい方はお電話にてお申し込みください)施設の空き状況は以下をご確認ください。 <施設空き状況一覧> ●市営南町二丁目住宅 ●市営唐桑大沢住宅 ② 面談オンライン会議システム「zoom」を使った面談を行います。面談では申込の動機や滞在中に希望されることをご確認させて頂きます。(「zoom」使用が難しい方はご相談ください) ③ 入居決定面談結果通知後、申請書のご提出をお願いしております。ご提出後、利用可否決定通知書もって利用決定となります。入居が決定した方には入居までの日程等の調整をさせていただきます。 気仙沼移住体験ツアー 滞在の目的に合わせた3時間程度のツアーを体験していただきます。体験内容や実施する時間は参加者の希望に合わせて設計することができます。 <体験ツアー例:移住を検討するにあたって気仙沼にある空き家を見てみたい方の場合> その他 本プログラム(お試し移住補助金、お試し暮らし住宅)では保険の加入は含まれておりません。 参加期間中の事故等については、市は一切の責任を負いかねます。 お試し移住プログラム参加のご出発の前に、利用者様ご自身で国内旅行損害保険等にご加入いただくことをおすすめ致します。 お試し移住事業関連書類 気仙沼市お試し移住事業(災害公営住宅活用型)実施要綱 気仙沼市お試し移住事業(災害公営住宅活用型)募集概要 気仙沼市お試し移住事業(災害公営住宅活用型)利用要領 お問い合わせ 気仙沼市移住・定住支援センターMINATO 〒988-0018 宮城県気仙沼市南町海岸1-11 気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F TEL&FAX 0226-25-9119 Mail info@minato-kesennuma.com
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2021.3.11 《東日本大震災10年 特集》
東日本大地震から10年。 10年経って、変わったこと変わらないことがある中で、それでも時間は進んでいくのだと感じさせられます。 これからはもっと、変えたいこと変えたくないことを、自分たちで選んでいくことになるんだろうな。 それを気仙沼で暮らしながら噛み締められることに感謝する、私にとってはそんな3月です。 未来に向かって進んでいく様子を日々感じられるこのまちで暮らすのは、贅沢なことだと思います。 みんな必死に頑張っているんだと分かるし、自分が誰かの頑張りの恩恵を受けていることも分かる。 みんなで作ったまちに生きているんだと思えるから、自分も何かしてみたくなる。 そんな風に思うのは、私のような大人に限ったことではないようです。 「わくわくしてる」「気仙沼は面白いまち」そんな言葉を口にする人がたくさんいるまちになりました。 震災10年目、みなさんに見ていただきたい特集をここに残しておきます。 ぜひご覧ください。 動画 【8歳の震災、18歳の未来】 10年前当時8歳だった子が、18歳になりました。あの時の記憶と、これからを話します。 【ふるさと納税ドキュメンタリー】被災した町に彩りをもたらすもの ∼宮城県気仙沼市∼ 震災後、実際に移住した若者や受け入れた自治体関係者へのインタビューです。 記事 【復興祈念公園開園】 東日本大震災の記憶を後世に伝え、復興を祈念する場所「気仙沼市復興祈念公園」が、2021年3月11日(木)に開園します。 【あのお店、あの人は今どうしてる?前編】 【あのお店、あの人は今どうしてる?後編】 気仙沼市外の方々から寄せられた「気仙沼の仮設商店街や、仮設の店舗で出会ったお店の人たちは、今ごろどうしているだろう? 」という声をもとに、お店を経営している方々に取材をしています。
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vol.04【気仙沼移住女子】わかの場合
~わかの場合~ 香川出身のわか。 大学への進学をきっかけに東北へ。 気仙沼との出会いは、大学の授業。フィールドワーク先として来ました。 その後、気仙沼で行われている大学生向けプログラムSOKOAGE CAMPに参加。 そんなこんなで、なんだか水があったようで、長期休暇のたびに心の避暑地として気仙沼に長期滞在していました。 気仙沼に移住したのは、色々あってちょっと落ち着いた時間が人生に必要だと思ったから。いつまでいるとか、何をしたいとか、決めずに住み始めました。 そこでコワーキングスペース□shipに顔を出すように。 そこから、ご縁があって2つの会社で働くことになりました。 自分の人生をじっくり味わいながら、働くこと暮らすことをひとつひとつ丁寧に経験しているわか。 副業兼業が出来るのは、どちらの組織に所属してもそこにいる人に寄り添った仕事ができるから。 愛情深く仕事ができる彼女。その愛情は今家畜へ向いています。 アニマルウェルフェアを通して、生きるとは食べるとは資本主義ってなんだろう。そうやってひとつひとつ丁寧に経験している最中です。 ●Instagram気仙沼移住女子わかの回はこちら そして、そんなわかが自分の働き方暮らし方をお話しするオンラインイベントが2021年1月29日(金)に行われます。 詳しくはこちらをご覧いただき、ぜひお気軽にご参加ください。 (掲載日/2020.9.19)
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vol.02【気仙沼移住女子】ちはるの場合
~ちはるの場合~ 気仙沼出身。いわゆるUターンで帰ってきた、ちはる。 東京の建築業界で働いてから、地元に戻ってきました。 ちはるの暮らし方は、きっと気仙沼であってもそうでなくても変わりません。 周りにハッピーをシェアする生き方が好きで、それを小さく自分のペースで続けています。 例えば、1月の七草粥で使う野草を摘んで七草粥をみんなで食べたり。例えば、8月のみなとまつりではまらんやを踊る人にはちみつレモンを配ったり。例えば、まちのマルシェで手作り屋台を使ってインドカレーを出したり。わ!ちはるからこんなの貰った~!そんな想いをしている気仙沼の人は、きっと結構いるはず。 ポイントは、楽しそうなことをやること。政ではなく、暮らしの範囲で好きな事に挑戦していくこと。収支のある事業じゃないから、結果はなくても良い!自分の楽しいを気仙沼にあるものを使ってみんなとシェアする。 次はこんなことしたいな、やってみよ!そのワクワクは自由研究に似てるかも。 それがちはるらしい気仙沼ライフです。 気仙沼移住女子のちはるの回はこちら (掲載日/2020.9.1)
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【1/12更新】インターネットラジオ「かなこの一人井戸端会議」第26回配信!
こんにちは。気仙沼市移住・定住支援センター MINATOでスタッフをしている千葉可奈子です。 今回、MINATOでオンラインラジオの配信を開始することになりました! コロナウイルス感染拡大により、皆さんと顔を合わせてお話しする機会を設ける事が難しくなっています…。 私にとって、顔を合わせてお話しする機会は、気仙沼の今を伝えたり、逆に皆さんの今をお聞きしたりして、「気仙沼」を介した仲間が増えるとても貴重な場でした。 そんな大切な機会を失くしたくないな。と思い、気仙沼の今をお伝えしつつ皆さんと交流が持てる場を! ということで、インターネットラジオをはじめることにしました。 いつも私たちがやっている交流会のように、楽しいラジオにしたいと思っています。 名付けて『かなこの一人井戸端会議』 移住センターのスタッフである私かなこが、気仙沼の今をお伝えしつつ、皆さんの日頃ある「もやもや」や「これ話したい~」という事を私を介して皆で井戸端的にわいわい盛り上がれたらいいなと思っています。 テーマは、何でも大丈夫です。恋愛でも結婚でも仕事でも暮らしでも、不安なことも嬉しいことも皆でシェアして、ちょっとだけ元気になってもらえればとっても嬉しいです。 ラジオですので、ぜひながらでお聴きいただければ。 感想や質問、こんな事聞いて欲しいということがあったらTwitterで #かなこの一人井戸端 を添えてお送りいただけると嬉しいです。 週に1~2回、10~15分くらいお送りしようと思っています。 配信については、「stand.fm」というアプリを使っています。 聴き方は、2通りです。 ~1つ目~ こちらからお使いのスマートフォンに合わせてアプリをダウンロードしてください。 ・アプリを立ち上げ「かなこの一人井戸端」を検索してください。 ・チャンネルをクリックして、お好きな放送回をクリックしてください。(その際にフォローしていただけると嬉しいです) ・感想や質問は、「レター」という紙飛行機のアイコンをクリックして頂けると送れます。 ~2つ目~ ・更新をするたびに、各回のURLをご案内しますので、そちらをクリックしていただけると、お聴きいただけます。 「第二十七回 コロナがきっかけで移住したという話」 「第二十六回 新年あけましてございます!2021年今年の抱負! 」 「第二十五回 お誕生日おめでとう私、ありがとう私!」 「第二十四回 お試しワーケーションやってみた!の巻②」 「第二十三回 お試しワーケーションやってみた!の巻①」 「第二十二回 今回もゲスト!朋ちゃん!嫁ターンで来てなんでそんなに友だち多いかね?!の巻」 「第二十一回 二度目のゲストは嫁ターン!朋ちゃんです。」 「第二十回 記念すべき第20回!これだけは許せない行動」 「第十九回 女子校出身という弊害〜気仙沼編〜」 「第十八回 早く終わって欲しいブーム 」 「第十七回 コロナがないなら何したい夏ですか?〜気仙沼編〜」 「第十六回 落ち込んだ時の対処法」 「第十五回 魚捌ける女子っていいよねって言うけど、言うならリスクは背負ってよ〜気仙沼編〜 」 「第十四回 今度もゲストはゆかりちゃん!〜結婚後の家事分担で盛り上がる独身者〜」 「第十三回 移住してみて、実際どう?〜ゆかりの場合〜」 「第十二回 初!ゲスト!なんで移住したの?トーク〜ゆかりの場合〜」 「第十一回 けりをつけたい話」 「第十回 さよならアラサーな女の機嫌のとり方」 「第九回 異性のどこ見る?脈って何?そして、私は今日もひとり 」 「第八回 2021年朝ドラが決まったよーー!!」 「第七回 もしもかなこが21歳に戻ったら~仕事編~」 「第六回 ラブコメの話~だって好きな事話していいよって言うから~」 「第五回 レターのお返しの回②今度はちゃんと3通お返ししています」 「第四回 レターのお返しの回①また婚活の話」 「第三回 気仙沼恋愛婚活あるある」 「第二回 移住前もやもやあるある」 「第一回 はじめましてかなこです」
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【動画】気仙沼のリアルあるある!移住者大喜利
移住は、その場所で日々の暮らしを重ねるということ。景色がいいのは、分かるけど。食べ物が美味しいのは、知ってるけど。日々の暮らしをみんながどんな風に送っているのか。気になりますよね。移住ってありかも。でもみんなどんな風に生活してるんだろ?わざわざアポイントを取って聞きたいほどではないけど、ちょっと気になる。そんなことを、動画にまとめてみました。前後編。実際にUIターンしてきたメンバーでわいわい脱線しつつ楽しくお伝えしています。お気軽にどうぞ! 移住者に聞いてみました!気仙沼のリアルあるある① 移住者に聞いてみました!気仙沼のリアルあるある②
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【3/23~26日20時開催!】春の夜、もやもや4days
春が近づいている今日この頃、いかがお過ごしですか? コロナウイルス感染拡大もあって、思うように外に出れない日が続きますね。 そんな日が続くと、何だか色々考えて、もやもやしちゃいませんか? そんなあなたに、今回こんなオンラインイベントをご用意しました! 1人でもやもやするより、皆でもやもやした方が、ちょっと前向きになれるかも?! 一緒に春の夜を過ごしませんか? ラインナップはこちら! 4日間連続で開催! それぞれのテーマに毎回ゲストをお迎えしてもやもやをお話いただきます。 「そうそう!分かる~!」そんな春の夜の時間を過ごしませんか? ★3月23日(月) 「地域の為に!もやもやナイト」 地方創生に興味があったり、地域の為に何かしたいなと思ってもどうしたらいいか分からない。 そんなあなたにボランティアを経験後にIターンして気仙沼で地域で活躍する2人がお話します! ゲスト:成宮崇史さん(認定NPO法人 底上げ)、根岸えまさん(一般社団法人歓迎プロデュース) ★3月24日(火) 「仕事のあれこれ!もやもやナイト」 今の仕事が嫌なわけではないけど、やりがいやこれって本当に役に立ってる?ともやもやしている方に! 東京で働いていたけれど転職して地域のデザイン会社で働くお二人にお話を伺います! ゲスト:加藤尚さん、昆野哲さん(一般社団法人 ペンシー) ★3月25日(水) 「30歳が見えてきた…!もやもやナイト」 仕事をはじめてしばらくたって、そろそろ30歳が見えてきたけど、あれ?自分ってこのままいくの? 自分の将来に急に自信が持てなくなった。 そんなあなたは、夢だった看護師になったけど辞めて、今はシェアハウスを運営している女の子にお話を伺います! ゲスト:村松ももこさん(一般社団法人 Omusubi) ★3月26日(木) 「いつ帰ろうか。もやもやナイト」 地元は好きだし、家族の事もあるし、いつかは戻ろうと思っているけど…。 という方、地元に戻ることにした先輩のお話を一緒に聞きませんか? ゲスト:佐藤愛さん(気仙沼水産資源活用研究会) 聞くだけでもOK!一緒におしゃべりもOK! 「これこれ!」という夜に参加してもらっても、4日間ぜーんぶ参加してもらってももちろんOKです。 ラジオのように楽しんで貰ってもいいですし、感想シェアタイムを設けてますので参加してもらってもOKです。 こんな方が参加したら楽しいかも! ◎テーマについてもやもやのある方 ◎地方での暮らしを考えている方 ◎地域おこし協力隊に興味のある方 春の長くない夜に。 ぜひぜひお気軽にご参加ください~! 20時仕事終わりに待ってます☆お気軽に↓のURLからお入りください~! https://zoom.us/j/402259900 (※初めての方は、事前にzoomをインストール必要があります。上記URLをクリックしてインストールしてください。) <概要> 日にち:3月23日~26日 20:00~21:00 費用:無料開催 URL:https://zoom.us/j/402259900 タイムライン 20:00~20:15 イントロダクション 20:15~20:45 ゲストからのテーマトーク 20:45~20:55 ブレイクアウトルームにて感想共有 20:55~21:00 クローズ ※クローズ後もおしゃべりしたい!という方、22時まで残って一緒におしゃべりしましょう!
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【UIターンインタビュー】婿ターンで掴んだ、理想のキャリアと家族との時間。
テレビ越しに見た彼女の実家、気仙沼の惨禍 気仙沼内湾の復興のシンボルとして、立派な佇まいを見せる建物がある。市民のパートナーとして寄り添い、共に復興への道のりを歩んで来た気仙沼信用金庫の2017年3月に再建された新社屋。財政支援だけでなく経営者のパートナーとして気仙沼の復興に欠かせない役割を担ってきたが、ここで活躍する人のなかには、震災後に移住した人もいる。そのうちの一人が布田真也さんだ。 大学卒業後、地元・茨城の地方銀行に勤めていた布田さん。2011年3月11日もいつものように外回りの営業に勤しんでいた。突如、強く大きな揺れが襲った。 「お客さんのところで一緒にテレビを見て、震源地が東北だと知りました。その後電気が止まったので、カーナビのテレビをつけると、気仙沼が大火に見舞われている映像が流れてきました。『大変なことになっている』と…」 布田さんがテレビ越しに見ていた宮城県気仙沼市。そこは、のちに結婚することになる当時の彼女が暮らしている場所だった。そして震災前に布田さん自身も彼女とともに訪れたことのある、決して人ごとではない、縁の深い土地だった。 「彼女とは5日間くらい連絡もとれませんでした。『最悪のことがあったんじゃないか……』そんなことすら頭をよぎり始めたころ、連絡がとれて、ほっと一安心したのを覚えています」 「震災から2週間後に訪れた気仙沼はかつての面影がまったくなかったですね」 移住前にできた知り合いの存在が、決断を後押し 震災前、初めて遊びに来た気仙沼は「食べ物がおいしくて、やさしくて温かい人が多いな」という印象だったと振り返る布田さん。震災後、変わり果てた気仙沼の姿に寂しさを感じながらも、気仙沼で過ごす時間が増えていくほどに、そのよさもさらに実感していったという。そして、震災から1年が過ぎたころ、二人は結婚。茨城に呼ぶということも考えたというが、妻の実家が家業をやっていたこともあり、気仙沼への移住を決めた。 「気仙沼に何度か足を運んでいるうちに、この土地の空気感が気に入ったので、気仙沼でも地域に根ざした仕事ができればと思っていました。金融の仕事にもやりがいを感じていて好きな仕事だったので、移住しても金融業界と考えていました」 ちょうどそのタイミングで、現在働いている気仙沼信用金庫の中途採用の案内が出ているのをWebページで目にした。これまで銀行で5年間、積み上げてきたキャリアをしっかりと活かしつつ、地元密着の仕事をしたいという布田さんの想いに合致した。「これだ!」と思い、すぐに連絡をいれたという。 しかし、生まれてから社会人まで一度も離れたことのない故郷を離れ、新しい土地での生活。そして、転職。不安がないわけがなかった。 「地元の友人と離れるのは寂しかったですし、この年になって新しい友達ができるかなって。外から来た人間が受け入れられるだろうかとも思っていました。ただ、実際に移住するまでに、妻の同級生と遊んだり、親戚のおばちゃんに覚えてもらったりと、知り合いができていたのは移住を決断するうえでは大きかったですね。みなさんオープンな気質の人が多く、心配はすぐに吹き飛んでしまいました」 移住するまで大学時代も社会人時代も含めて実家を出たことがなかった布田さん。「地元の友だちには本当に驚かれました」と笑う 「気仙沼は子育てもしやすい町だと思います」 現在、布田さんには二人の子どもがいる。震災から間もない気仙沼での子育てに不安はなかったのか——。 「地域みんなで子どもを見てくれるという安心感がとても心強かったです。横のつながりがとても強くて、子どもといっしょにいれば、町の人が気にして声をかけてくれる。妻の実家の家業である婦人服店を手伝っているのですが、そのお店に来た近所のおばあちゃんが知らぬ間に子どもの相手をしてくれていたり。本当にあったかい町だなって実感します。この町で家族と暮らすということに関してもこれまで大きく不便さを感じたことはありません。病院もあるし、日用品の買い出しなどにも困りませんからね」 休日は、家族で出かけることが多いという。「海もあるし、山もある。子どもが遊ぶ環境には事欠かないですよね。週末は毎週のように市内どこかでイベントをやっていて。『産業祭り』や『気仙沼みなとでマルシェ。』などで子どもたちといっしょに楽しんでいます」 今、家族との時間がいちばん幸せだと語る。 「気仙沼に来て、仕事と家族がしっかりと両立できていると感じています。以前は、仕事優先という感じでしたが今ではバランスがとれていますね。たしかに、地方への転職ということで収入面での不安はありました。実際に首都圏に比べれば表面的な収入では見劣りしますが、お金の豊かさを取るのか、暮らしの豊かさをとるのか、ということだと思います。今私自身がこの暮らしに満足していて充実しています。」 「週末は海に行ったり、市内で開催されるイベントに足を運んだり。こんなにイベントがたくさんある町はほかにないんじゃないかってくらい。それも気仙沼で暮らす楽しみのひとつ」と話す 仕事と家族を両立する理想の暮らしが移住後に実現 前職時代は投資信託や定期預金など法人個人関わらず外周りの営業を担っていた布田さん。現在、布田さんの所属する復興支援部、企業支援部は、地元企業とともに販路開拓を考えたり、起業支援を行ったり、まちづくりの事業に参加をしたり、いわゆる金融業の枠を超えた業務も多い。 同じ金融業への転職ながら、キャリアチェンジに近く、新たなチャレンジに難しさを感じているという。しかし、「地域住民と手を取り合いながら共に歩むキャリア」は、これまで以上に自ら描いていた理想に重なりあう。 奥さんの実家という縁あって地方移住を選択した布田さん。そのことによって、自身の描くキャリアから逸れるわけではなく、しっかりとキャリアを積み重ねていった。さらに、仕事と家族、そして地域活動をバランスよく充実した日々を過ごす—。 移住後の転職先で理想の暮らしを送る布田さんの姿は、ともするとキャリアダウンやリタイア後のセカンドライフ、もしくは単身者の起業家というイメージが抱かれがちな地方移住において、新しい風をもたらしているのかもしれない。 布田 真也(ふだ しんや)さん 茨城県筑西市出身。1986年生まれ。奥様とは大学時代のサークルで知り合い、卒業後、茨城と気仙沼の遠距離恋愛を育んできた。2014年に気仙沼に移住。趣味はランニング。岩井崎周辺を走って家に戻る約10キロのコースがお気に入り。溺愛する二人の子どもたちには「気仙沼で好きなことを見つけて、のびのびと育っていってほしい」と話す。
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【UIターンインタビュー】移住当初は後悔ばかりでした(笑)。
オヤツ食べたい的「ゲストハウスやりたい」。 それまで住んでいた横浜から気仙沼へと移住したのは、2015年の12月のことでした。24歳の頃です。いまもオーナーをやらせていただいている『ゲストハウス架け橋』が移住の決め手ではあったと思うんですけど、振り返ると浅はかでした。当時、前職を辞めて自転車で日本一周をしようと思いまして、たまたま寄った気仙沼で「ゲストハウスやりたい」と仲間内で言っていたんですね。でも、楽しいところしか見ていなかったというか、なんの覚悟もなかった。「おなかすいた。オヤツ食べたい」と同じレベルでの「ゲストハウスやりたい」で(笑)。 もちろん、学生の頃から、ひとり旅をすると必ずゲストハウスに泊まるぐらい好きではありました。岡山の『有鄰庵』さん、北海道の『waya』さん、ゲストハウスというよりはユースホステルですけど礼文島の『桃岩荘』さんなど、好きな宿もいっぱいあります。 じゃあなぜ、私がゲストハウスを好きかというと、あの場所には、本当にいろいろな生き方をしている人がいて、世間の正しいが必ずしも正しいわけじゃないんだなぁと感じたからなんです。大手企業に勤めている人もいれば、フリーランスで仕事をしている人もいたし、無職だけどずっと楽しそうな人もいた。楽しそうかどうかにキャリアなんて関係ありませんでした。 ところが私は……私の前職は看護師なんですけど……あの道は、学校に入学すると9割5分ぐらいは必ず看護師になるんです。就職活動もほぼない。しかも私は、小学6年生の頃からなんの疑いも持たずに看護師になるものだと決めていた。簡単に言うと視野が狭かったのだと思います。ところが、旅先でゲストハウスに行くといろいろな人がいて、様々な価値観があって、それが魅力的でした。 だから、前職をやめる時にもあまり悩まずにすんだのだと思います。 看護師の仕事そのものは楽しかったんですけど、シフトが出る、遊びや飲み会の予定を入れるという暮らしで。ある夜、飲み会終わりに終電に乗っていて、明日は仕事かぁ、こういう生活が30歳まで続くのかぁと想像したら急に嫌になっちゃったんですよ。その時にふと思い出したんです。そういえばゲストハウスにはいろいろな人が集まっていて、みんな楽しそうだったなぁ。まぁ、生きてくぶんにはなんとかなるでしょって(笑)。 <私はここですることがあるな>という予感。 移住を真剣に考えてらっしゃる方には、本当に申し訳ないんですけど、そもそ も私には住む場所へのこだわりが薄いのだと思います。旅と移住がほとんどイコールというか。それに、勢いで行動してしまうタイプでもありまして。気仙 沼へとつながる自転車での日本一周を決めた時もそう。 <仕事辞めよう、なに しよう、旅しよう>でしたから(笑)。 日本一周目指して自転車の旅に出た村松さん 自転車での日本一周は、仕事を辞めて、東京の友達の家に1ヶ月お世話になって、そこから北上していきました。 栃木通って、福島通って、気仙沼を通ってしばらくいて。そこからちょっと飛ばして青森に行って、北海道入ってぐるっとして、そこから1回気仙沼に帰ってきて。本当はそこから日本海側を南下していく予定だったんですけど、変更して岡山まで電車で行って、さきほどの岡山の『有鄰庵』さんで1ヶ月ぐらいヘルパーして、気仙沼に帰ってきました。 そうなんです。気仙沼には「帰ってきた」という感覚がありました。 先ほどのオヤツ食べたいぐらいの浅はかな「ゲストハウスやりたい」を聞いてくれた仲間とは、日本一周を始めた1ヶ月後ぐらいの、はじめての気仙沼で出会っているんですね。当時は、震災4年後ぐらいでしたから、業者さんも多くてホテルはどこもいっぱい。自転車旅に詳しい友人から、野宿はおすすめできないと紹介してもらったのが『ゲストハウス架け橋』でした。いまと名前は同じですけど、その頃はボランティアの方が主に宿泊されていました。旅を続けるなかで、気に入った街だと2週間ぐらい滞在したりもしたんですけど、なんなんですかね。なんで、気仙沼だったのか。 それはたぶん、『ゲストハウス架け橋』が魅力的だったというのではなくて、<あ、私はここですることがあるな>と感じたからだと思います。 それで、岡山から戻ってきたら、ボランティアの利用客の方が減ってきていて、これからどうしようという時期で。そのタイミングと私の「ゲストハウスやりたい」が、なぜかピタリとハマって現在に至るという感じです。 水出ない、トイレ流れない、めっちゃ寒い! そんな経緯で移住したのが、2015年の12月だったんですけど、正直言って、後悔ばかりでした。 何度も「横浜に帰りたい」と思いました。<なんでこんなに辛いの?><全然楽しくない!><やりたかったことと違う!>って。いえ、そもそも「ゲストハウスやりたい」が浅はかですから自業自得なんですけど、その頃は本当に逃げ出したくて仕方ありませんでした。 ひとり旅って、関わっているのが自分だけだから逃げ出せますよね?でも、『ゲストハウス架け橋』には関わってくれた仲間がいるし、クラウドファンディングもスタートするしで、私の勝手な言い分ですけど、まわりを固められた感がものすごくあって、逃げ出せませんでした。 でも、逃げ出せなかったから気づけたのが気仙沼の魅力でした。 感覚として、横浜にいた時は生かされていたと思うんです。24時間コンビニはあいてるし、テレビはいつでもつくし、水道の蛇口はひねれば水が出る。しかも私は、お父さんとお母さんに大切に育ててもらってきて、お金にも苦労せず、横浜でも新築の部屋にしか住んだことがなかった。自分で言いますね。育ちが良かった(笑)。 ところが気仙沼では、電気がつかないんです。ブレーカーを上げれば済む話なんですけど、育ちのいい私は、そのブレーカーを知らないっていう(笑)。ブレーカーだけならまだしも、水は出ないし、トイレも流れないし、めっちゃ寒いし。 そうなってはじめて頭を使うんですよね。家の外をまわって「あ、水って水道管があるから流れるんだ」と気づいて。でも、仕組みに気づいても水は出ないので、もうどうしようもなくて近所のじいちゃんを呼んでくるしかありませんでした。「お前、水抜きしたか?」と教えてもらえて、ようやく水が出たんです。 その時、<気仙沼では生きようとしないと生きられないんだ>と気づいたんです。しばらくは、いままで使っていなかった頭を使うのが苦痛だったんですけど、いろいろなことがわかってくるとおもしろくなって。ありがたいことに『ゲストハウス架け橋』の資金が集まって、建物は自分たちでリノベーションしようとなったんですけど、その頃には私、コンクリート打ちができるまでになっちゃいましたから(笑)。 ゲストハウス架け橋リノベーション時の様子 気仙沼の魅力のひとつに「人があたたかい」というのは多くの人が口にするし、私自身、何度、近所のじいちゃんばあちゃんに助けられたかわかりません。 その上で私が思う気仙沼の魅力があります。私、この町に来て、地域の人に否定されたことがないんですよ。「お前はなにをやってるんだ?」と怪しい目で見られたこともない。ゲストハウスなんて象徴的に怪しいと思うんです。住宅街にゲストハウスができる、誰が来るかわからないって、地元の方からしたらもう恐怖でしかないと思うのに、「よくぞ気仙沼に来てくれた!」だし、私のやりたいことを応援してくれるし、助けてくれる。迷惑かけてもそばにいてくれる。それって本当にすごいことだし、この町の素敵なところだと思います。 ひとつのことを続けるのが苦手だけれど……。 ゲストハウスにいると「地元の人ですか?」と、まるでテンプレートのように同じことを聞かれるんです。「違います」と答えると「どこから来たんですか?」「横浜です」「なんで移住してきたんですか?」「自転車で日本一周を……」という感じ。最初のうちは<なんで同じことを何度も答えないといけないんだろう?>と苦痛でした。 でも実は、話す相手によって会話って自由に広がっていくんですよね。移住に興味がある人もいれば、旅に食いつく方もいる。そのことに気づいてちゃんと頭を使って会話するようになってから、話をするのがおもしろくなったんです。同時に自分を見つめ直さざるをえなくもなりました。<なんで私は、ゲストハウスをやっているんだろう?><そもそも私ってどういう人間なんだろう?って。 実は、私にはずっと、コンプレックスがありました。それは、ひとつのことを続けるのがものすごく苦手ということ。 3年という単位で語られることの多い仕事も2年3ヶ月で辞めてしまったし、最初にお話した自転車で日本一周の旅も途中でやめている。じゃあ、そんな私でもずっと興味を持ち続けられていることはなんだと突き詰めて考えたら、人でした。私は、人が好き。人に興味がある。あぁ、だから誰かがやりたいことなら、誰かの頑張りたいことを応援する形なら続けられるんだって。 最近は、『ゲストハウス架け橋』内でやっている「絵本カフェ」(※子育てママの息抜きの場)をさらに発展させたことで、なにかできそうな気がしています。 私、小児科の看護師だったんですね。その頃は子どもが好きだと思っていたんですけど、本当はそうでもなかったんですよね、たぶん(笑)。好きじゃないというのではないんですけど、一番の興味がママたちにあったと最近気づいて。この子が泣かないでいられたらきっとママが喜ぶからというのが看護師時代の一番の興味だったし、やりがいでした。だから、「絵本カフェ」から広がるママさんのためのなにかには、ものすごく興味があるし、<自分にはきっとできることがある>という予感があります。 そうは言っても、「気仙沼の子育てを変えたい!」だとかの社会貢献を目指しているわけじゃないんです。どうもですね、「社会貢献」という言葉が自分にはピンときません。リアリティがない。もちろん、それができる人は本当に素晴らしいと思うんですけど、私はもっと近いというか、自分の声の届く範囲のことに興味があります。たとえば、うちで働いてくれてる女性が、知り合った当初は髪の毛もボサボサで2人の子どもを背負って、申し訳ないけど地味で暗かったんです。それが働くようになったら化粧もバッチリだし、生き生きとしていて元気で「誰?」というぐらい変わられたんですよ。そのママさんの変化を見た時に「これがしたい!」と思ったんです。 ゲストハウス架け橋と絵本カフェのスタッフみんなで撮った1枚 気仙沼はがんばってる人を応援してくれたり伴走してくれる人が、本当に多い町です。素晴らしいことだと思います。 でも、私は、そっちじゃないほうの人を応援したい。上にあがりたい人を引っ張っていくことは苦手だけれど、下に落ちそうな人をキャッチしてそれ以上落ちなくすることは、たぶん、向いていると思うので。がんばれなかったり、悪いことしちゃったり、怒られるようなことをしちゃった人でも必ず裏側には理由があるはず。そういう人たちに「この人だけは裏切らない」と思ってもらえる人になれたのなら……。 私自身も、日本一周だとかがんばれなかったことがたくさんあるけど、そういう自分も認めてあげることができるようになって、生きやすくなりましたから。