「海」に
関する記事一覧
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One-Line ~気仙沼クリスマスイルミネーションプロジェクト~
震災以降、ヒカリが失われた海の市、田中前大通りに、あたたかい光が灯り、辺り一面が幻想的な雰囲気に包まれます。 「One-Line」には、“湾”ラインと、『ココロ、ひとつに』の“ONE”の、二つの意味が込められています。気仙沼湾の湾景が、一筋のヒカリでつながります。 12月3日には海の市で点灯式があり、有名アーティストによるチャリティーライブが行われました。 ※詳しくはONE-LINE公式ホームページをご覧ください。 開催概要 開催日:2016年12月3日(土)~2017年1月9日(月) 点灯時間:18:00~22:00 場所:海の市、田中前大通り 主催・お問合せ ONE-LINE実行委員会 HP:http://kesennuma-christmas.com/
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12月しごと場・あそび場 ちょいのぞき in 気仙沼
12月4日(日)に、 「しごと場・あそび場 ちょいのぞき in 気仙沼」を開催します。 今回ははじめて大島を舞台にプログラムを開催。 大島、内湾、八瀬、階上、そして唐桑…と、市内の広い範囲に渡っての開催となります。 寒い季節もまだまだ気仙沼には楽しい「しごと場・あそび場」がありますよ。 ■ 開催概要  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 開催日:2016年12月4日(日) 【離島満喫!ゆずと大島海鮮丼クルーズの旅】 時間:9:00~14:10 料金:一般6000円、小学生3,500円 未就学児無料 定員:10名 (最少人数5名) 【サメの骨キーホルダーをつくろう!】 時間:9:00~12:00 時間内参加自由 ※所要時間約15分 料金:一つ500円 定員:なし 【クリスマスプレゼントに!氷の彫刻づくり】 時間:10:00~12:00 料金:アイスオブジェ(フラワー入り)3,500円 アイスグラス2,000円 定員:6組 (最少人数3組) 小学生以上対象 【気仙沼スノードームをつくろう!】 時間:14:00~15:00 料金:一つ800円 定員:15名 【八瀬そば打ち体験(ランチ付き)】 時間:10:15~12:30 料金:一般1,000円、小中学生800円 未就学児500円 定員:20名 【隠れたブランド「気仙沼いちご」農家体験!】 時間:13:30~15:00 料金:一般2,000円、小学生1,000円、未就学児無料 定員:15名 (最少人数5名) 【唐桑オイスター物語】 時間:11:00~13:30 料金:一般5,000円、小学生3,000円 定員:15名 (最少人数6名) 小学生以上対象(未就学児乗船不可) チラシ(PDF) ■ 主催・お問合せ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 気仙沼市観光サービスセンター tell: 0226-22-4560 HP: http://www.kesennuma-kanko.jp/ ■ 関連情報  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ちょいのぞき気仙沼サイト(http://cyoinozoki.jp/)
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ぬま塾 vol.16〜ゲスト:沿岸漁業漁師 芳賀 孝司氏〜
2016年最後のぬま塾を開催します。 今回は、参加者からのリクエストが多かった漁師さんをお呼びします! 毎回大盛況ですので、ぜひぜひご参加ください! 開催概要 ゲスト先輩:芳賀 孝司さん(沿岸漁業漁師) ~大谷地区の漁師である芳賀氏は、メカジキ突棒漁、イサダ漁、サケ刺網漁、タラ刺網漁など、年間を通して様々な漁をされている。 メカジキ突棒漁は、約30年、父親と一緒に漁をされてきた。また、大谷里海(まち)づくり検討委員会会長を務めており、地域活動も積極的に行われている。~ 開催日:2016年12月8日(木) 時間:19:00~21:00 場所:K-port(港町1-3) コンテンツ:先輩によるお話+参加者によるグループワーク(簡単な感想共有) 対象:20~30代(という気持ちの方)※高校生も大歓迎です! 定員:20名(先着順。定員になり次第締め切りとなりますのであらかじめご了承ください。) 参加費:500円(ワンドリンク含む) 主催:気仙沼市 <ぬま塾とは?> 「気仙沼って、ほんとにまだまだ面白い人がいっぱいいる!」 「お話を聞きたい地元の先輩が、いっぱいいる!」 “わざわざ外からお偉い先生を呼んだり、特別な講座に参加しなくても、今、目の前で気仙沼を引っ張っている先輩がたくさんいる! その人達から、改めて、今、ちゃんと学びたい! ”そんな思いからスタートした本企画。 少人数で、じっくりと、堅苦しくないカジュアルな場で、ゆっくりと先輩の話を聞ける機会にしたいと思っています。 コーヒーやドリンクを片手に、先輩たちがどんな20代、30代を過ごしたのか、それが今にどうつながっているのか、ゆっくりと聞いていきたいと思います。 お申し込み Facebookでの参加クリック、またはお電話、メールにてお申込みください。 ●Facebookでのお申し込み https://www.facebook.com/events/318537848530033/ ●お電話でのお申込み:0226-22-6600(内線335) 気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課 (担当:小林、小町、矢野) ●メールでのお申し込み info@numa-ninaite.com 主催・お問合せ 気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課(担当:小林、小町、矢野) Tell:0226-22-6600(内線335) mail:info@numa-ninaite.com HP:http://numa-ninaite.com/
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numa-tokyo vol.2 「気仙沼 大忘年会 in 東京」〜年末だョ!”気仙沼”な人、大集合!!〜
"気仙沼" と聞いて「おっ!」と思った方、あつまれー!! 今年も残りわずかになりました。 気仙沼の新鮮な“海産物”と、地元銘酒“蒼天伝”で今年1年の良かったことを語り合い、大変だったことを思いっきり笑い飛ばしましょう! ★ 気仙沼に住んでいた!もしくは行ったことがある! ★ 蒼天伝が呑みたい!気仙沼の美味しいもの食べたい! ★気仙沼の「今」がどうなっているか興味がある! ★ 漠然と地域について興味がある!などの思いがある方は、ぜひお越しください。 気仙沼にゆかりのある、あの人にも会えるかも!?お気軽にお越しください! ■ 開催概要 「気仙沼」な人、集まれ!気仙沼に縁・ゆかりがあるみなさんの大忘年会です。 気仙沼出身のあなたも、気仙沼に遊びに行ったことがあるあなたも、まだ気仙沼にいったことがないあなたも、 さぁ!東京で、まるっと気仙沼な夜を楽しもう! 開催日:2016年12月17日(土) 時間:18:00~21:00(出入り自由) 場所:daikanyama O’KOK(http://o.kok.jp/) 東京都 渋谷区 恵比寿西 2-21-15 代官山ポケットパーク 102(最寄駅:東急東横線 代官山駅 徒歩1分) 定員:40名(出入り自由/事前予約制) 参加費:3500円(ワンドリンク付き。2杯目からはキャッシュオン。) お料理:気仙沼直送の新鮮な食材を使った限定メニュー ※キャンセルについて:キャンセルのご連絡は前々日までにお願い致します (キャンセル料:前々日 0%/前日 50%/当日 100%) ■ お申し込み ※Googleフォームでの記入をもって申込完了と致します。→ https://goo.gl/forms/gNolkb9XpSJtXXtH3 ■ 主催・お問合せ 気仙沼市移住・定住支援センター MINATO(運営:一般社団法人まるオフィス) mail: info@minato-kesennuma.com
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【Pen.turn女子ブログ】「こっちのお盆はいそがしい」
唐桑に住んで2年。 お嫁に行って唐桑で過ごす初めてのお盆はいそがしかった!(笑) わたしは奈良にずっと住んでいましたが,お父さんの実家は鹿児島。お母さんは福岡。だから親戚もお墓も,地元にはなかったので,お盆といっても夏休みの一部でした。 さらに,都会ではないけれど,大阪市内まで30分以内のベッドタウンだったので,まわりもほとんどそうなので,お盆が特別って意識は全くありませんでした。 そんなこんなでお盆の意識が薄かったさちをが今年の唐桑のお盆をレポートします!! 8月13日(土)------------------------------------------------------ この日からお盆がはじまります。『盆の入り』と言います。おうちによっては、この日の午前中までに、ひなまつりのひな壇みたく,『盆棚』を飾ります。 果物やお花,提灯など,すごく豪華?です。うちでは盆棚は飾りませんでした。仏壇にもお花を飾ったりして、ご先祖さまが帰ってきます。 わたしはまだ,お盆が忙しいと気付く1日前。(笑)一日ごろごろ~ 8月14日(日)-------------------------------------------------------- 朝8時に義ママと2人でお墓参りに行きます。唐桑では海の見える高台にお墓があります。みんな海が好きだから,ずっと海が見られるようにってことなんでしょうか。 唐桑半島の南側の人達はほとんどここのお墓に集まります。 お墓に行けば知り合いだらけ。(笑) 「孫ちゃんたち帰ってきたんだね~連れていいね~」 「これ,うちのお嫁のさっちゃん~よろしくね~」と知り合いいっぱい・友達いっぱいの義ママは声をかけます(笑) もちろんだてに唐桑をウロウロしてないわたしも,知り合いにあいました。(笑) 「ちゃんとお嫁ちゃんやってんだっちゃ~」 「さちをちゃん,今日の夜うちでBBQすっからね!」 お墓で今晩の予定が決まりました。(笑) さあ,これからが本題!!おうちに帰ってからが,大いそがし!! 午前中から夕方まで,入れ代わり立ち代わり親戚がやってきます。 仏壇に,お供え物と香典袋を持ってきます。(だいたい2千円入れるらしい) その度に,お茶を出して,おんちゃんおばちゃんとおしゃべりして。(笑) なんやかんやで15人くらい来ました。日曜日休む暇もなかったな~ 予定通り夜は近所のおうちでBBQにお邪魔し,その後は唐桑半島の真ん中あたりの中地区の盆祭りに行きました。 この地区のお祭りは毎年盛大で,スイカの早食い・ビールの早飲みが目玉です(笑) そのために?!仙台から帰ってきた,からくわ丸のだいちゃんも出場!!(笑) 8月15日(月)---------------------------------------------------- 平日なのでわたしは仕事でなにもしませんでしたが,大島の親戚のおうちに他の親戚の人達は行ったみたいです。 ママは昨日と逆で、各親戚のおうちを同じように回ります。 仕事から帰って、夜は住んでいる松圃地区の盆踊りに行きました。 子ども達は外のくじ引きに夢中で,店番もお客さんも子ども達。 大人は集会所のなかでグルグルと盆踊り。 唐桑に来ていた福岡出身のイケメン大学生りょうくんも 「ふるさとの歌が聞こえたんで」と『炭坑節』のメロディにつられてやってきました。※炭坑節は福岡県で伝わる民謡。 さっそくりょうくんも,輪に加わるものの,手足がバラバラでガチガチ。(笑) 「ふるさとの歌踊られへんのかーい」と思わずツッコんだのはわたし。(笑) でも地域のおばちゃんたちが,イケメンと踊れてめちゃくちゃ楽しそうだったので,オーケーでしょう。(笑) 16日(火)--------------------------------------------------- 早朝,5時半に起きて,眠いまま近くの浜に向かう。 もちろんここでも知り合いに合います。(笑) ワラでつくった船に,お供え物を乗せて,海にぱちゃぱちゃしてから拝みます。 この船に乗って,ご先祖さまたちは帰っていきます。 そのまま浜の端で燃やします。 「じーさん,ほんでまたお彼岸にね~」と2年前に亡くなったじーちゃんに話しかけます。 ※関西弁の【ほんで=そして,それで,そしたら】だけど,唐桑の【ほんで】は関西弁の意味に合わせて【じゃあね,さよなら】としても使われる。 関西弁でいうところの【ほんで】と【ほな】をかけあわせた最強の言葉だと思ってます(笑) 浜からの帰り道に車の中で「お彼岸だともうすぐだね,その次はまた3月のお彼岸?」とママに聞くと「正月も御御霊(おみだま)拝みがあるから,また帰ってくるよ」と教えてくれました。 「なんだ,わたしが実家に帰るくらいじーちゃんも帰ってくるんじゃん~。じーちゃんもいそがしいね」 「じーさんもたまに帰って来ねぇと,オラたちちゃんとやってっか心配なんだべど。」 おうちに帰って6時過ぎ,仏壇でまた手を合わせて,これでお盆はひと段落。 ※20日には,『二十日盆(はつかぼん)』,30日『晦日盆(みそかぼん)』と言って,もう何がなんだが,どこがメインなのかわからないし,違いもわからないけど,お盆があるらしいですが。(笑) なにやら、提灯持って浜にいったりする地区もあるそうです。 やっぱり『漁師町・唐桑』では,昔から航海安全や大漁祈願をすることもあり,『神様事(かみさまごと)・御仏事(おほとけごと)』が昔から大切にされています。 どうでもいいと思わずに私たちの世代でも大切にしていきたいと,感じたお盆でした。 こうして、こっちのいそがしいお盆は、初めていっぱいで、あっという間に過ぎて行きました。
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遠洋マグロ船の出船送りをしよう!
3月1日(水)に第128海形丸さんが気仙沼港を出港します!そこで、遠洋マグロ船の出船送りをしてみませんか?気仙沼港は遠洋マグロ船の基地となっていて、1年間の航海に出る船を見送る「出船送り」があります。「出船送り」は、気仙沼港を出漁する船を乗組員の家族や友人、船主、関係者が航海の安全と大漁を願って岸壁から見送る、気仙沼の伝統的な行事です。気仙沼の女将さんが結成した「気仙沼つばき会」のみなさんの取り組みにより、ご来訪の方々にもご参加いただけます。地元が誇る気仙沼ならではの「出船送り」にぜひ一緒に参加してみませんか?参加の際は以下の場所まで御集りください。(事前予約は不要です。) ■出港船: 海形水産㈱ 第128海形丸 ■日にち:3月1日(水) ■ 出港予定時刻 :11:00 ■ 出港場所 :カメイ前出港岸壁 ※天候等により出港日および出港時間が変更となる場合がございます。
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【Pen.turn女子ブログ】「松圃虎舞で民族芸能大会に出場」
1年半前、松圃集会所で初めてバチを握った。 トットコトットコトットコ…、同じリズムで、同じテンポで叩く事さえもうまくいかず、必死に叩く。音が上手くでない。 小学3年生の女の子が先生となって私に教えてくれる。バチのにぎり方、力の入れ方、振りや音の出し方も。 子供たちは小学1年生から始めて、初めてバチを握った私にとっては3年先輩。子供たちの叩き方を真似しながら練習していた。 --- 気仙沼には、伝統芸能がたくさん継承されている。 打ち囃子や獅子舞、虎舞など、その多くが大漁祈願・航海安全を祈願して奉納されている物。 ちなみに、気仙沼のみなと祭りの打ちばやし大競演では市域の約30団体、約600基の和太鼓が港をバックに同じ曲を披露する。 同じ曲を演奏するが、団体ごとに叩き方(舞い)は違う。大迫力。 --- 私の参加させてもらっているのは「松圃虎舞」。 先生たちに特訓していただき、なんとか小太鼓が叩けるようになり、昨年の11月には渋谷での公演にも参戦! 冬(12月~5月ごろ)は練習がなく、今年もスタートは小太鼓だった。 地域の夏祭りがひと段落した9月。10月末に開催される伝統芸能大会への出演に向けての練習が始まった。 大太鼓に抜擢してもらう。子供たちは大混乱。「みっぽより私の方が上手だし!」と言われる始末。笑 自分も大太鼓を早く叩きたい、先生にアピールしよう、と子供たちも練習に熱が入る。 まだまだ2年生の私が、4年生の先輩を差し置いて大太鼓。子供たちにも認められるよう、頑張らなくては…。 大太鼓は、小太鼓と比べ体の使い方も、舞い方も勝手が違う。最初は1曲終えただけで息切れし、過呼吸のようになっていた。 週2回の練習に必ず出席し、1か月間で何とか叩き方を覚え、最後まで息切れせずに叩けるようになってきた。 10月に入り、週2回の練習が週3回に。大太鼓同級生のemmaもsachiwoもすごく上手になっていた。 5年目のtakumaくんはさすが。見惚れてしまうほどかっこいい。takumaくんが入るだけで緊張感がある演奏になる。 ラストスパート、先生たちの指導にも熱が入る。 出演する全員が、“宮城県代表”として1番かっこいい演技を!という想いをもち、想いがどんどん形になっていった。 地元新聞にも記事が掲載される。 10月30日「北海道・東北ブロック民俗芸能大会」当日。 2台のバスで盛岡に向かう。 応援のばあちゃんたちもバスに便乗。遠足気分。 会場に到着ほんとに県代表だ…。会場は1000人以上収容できる大ホール 初・大太鼓衣装。 ----- これから40分間の演奏が始まる。 松圃虎舞は、打ち囃子と手踊りと虎舞。 梯子虎舞では、12mの大梯子の上で虎囃子と虎が登っての演技をする。 この梯子はとても神聖な物だ。梯子の神様が女性なので、女性は上ることができない。 12mの大梯子の上で虎囃子と虎が登っての演技、今回は会場に梯子を入れられないので、スクリーンで映像を流す。 太鼓の前では女の子たちが手踊りをする。 「通り囃子」「松囃子」「里道」「剣囃子」「大漁節」「虎舞」「下り囃子」「海潮音」を演奏し、幕が下りた。 終わった後はみんなでハイタッチ! 本番も楽しめたし、努力したね!と褒められたけど、 練習をたくさんして、伝統芸能と向き合う時間に意味があった。週3回の練習を一生懸命楽しんだ事。 それが移住者として、子供達に伝統芸能の素晴らしさ、大切さ、楽しさを伝えら事。それが、今回の最大の収穫! 打ち上げの一体感すごかった…。
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【Pen.turn女子ブログ】「八瀬で自然をまんきつした休日」
最近のわたしのホットスポット、八瀬地区。気仙沼市の北端にある、山と川と田んぼが広がる、緑ゆたかな場所があります。 今年の5月に八瀬へUターンしてきたSくんが、八瀬まんきつツアーvol.0を開催してくれました。 わたしにとっては、3回目の八瀬訪問。服装は、動ける服装に、長靴履いて、タオルを持参。 最初に向かったのは、鍾乳洞。八瀬にあることを、初めて知った。 岩手県との県境ぎりぎりの山に入っていきます。 山の入り口に立つ看板には「クマ注意」の文字。山に向かう道の途中でも、地域の人に「クマいるぞ」と言われまくり、結構不安。 そんななか、「大丈夫ですよ」と、たんたんと歩き進むSくん。少し歩いたところで、「ここを斜めにのぼります」とSくん。 「え、ただの斜面ですけど。こんなとこ登るなんて、聞いてないですけど。」と言いつつも、みんなでのぼりはじめ、 鍾乳洞の入り口を発見。中は危険そうなので、入り口前で記念撮影。 鍾乳洞は以上。(笑) 山の斜面を降りた先には、化石が。 化石大好きと判明したKomachiちゃんは、化石探しに夢中。 考古学者、Komachi。 そして、BBQをしにSくんのお家へ。 帰る途中、川で長靴を洗い、サンショウウオを捕獲したり。(ちゃんと川に放してあげましたよ) 「ここがうちの中で1番美味しい天然水です(by Sくん)」と、山から流れ出るお水を飲んでみたり。Sくんのお家へお邪魔すると、Sくん宅栽培の新米炊き立てご飯が出迎えてくれました♡ このご飯が、ほんとうに美味しい!!!! しあわせ。 こんな感じで、八瀬の自然を大まんきつした、すてきな休日でした。 気仙沼には、遊ぶ”施設”は少ないかもしれないけど、”遊び”はたくさんあります♡ 山を歩いたり、川や海で泳いだり、釣りしたり、農家さんのお手伝いしたり。 このあいだふと、1年間でこんなにBBQした年はないな~と思いました。(笑)
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【Pen.turn女子ブログ】「唐桑に来たらぜひここへ♡」
それは、唐桑半島の海岸沿いに作られた遊歩道! リアス式海岸特有のこの絶景が続くみちは、全国にも珍しい。 山の中を歩いているのに波の音が聞こえるの。 1月19日(土)遊歩道を歩く会に参加しました~! 3年前から始まった年に1度のこの企画。 唐桑の外から来て、遊歩道に魅了された中井小学校の校長先生を筆頭に、公民館さんや観光協会さんの協力の元行われています。 当日は9時に中井小学校に集合し、近くの浜から遊歩道に入りました。 歩く途中のお楽しみは、湾が入り組むたびにある休憩所。 東屋とベンチが整備されていて、ついつい一服しちゃいますね。 歩くこと2時間。 途中の浜で、石をひっくり返すとカニを発見! 子どもたちは大はしゃぎでした。 2時間半後、唐桑半島の先端(御崎)に到着。 歩いた後は、みんなで豚汁をおいしく頂きました。 唐桑に来て、一番好きな場所になった遊歩道。 友達が来ると必ず一緒に行きます。この大自然の中だと色んな話ができるんです。そして気持ちもリフレッシュ。 でも、地元の人にとって遊歩道は普段ほとんど意識することはないそう。歩いたことのない大人の方も多いと聞きました。もったいないなあ。 この資源を最大限に生かしたい!地元の人にこの遊歩道の価値に気づいてほしい。 子どもたちにもっと自然の中で、遊歩道でのびのびと遊んでほしい。最後に遊歩道の魅力をもう少し。 朝日が最高です♡ 10月~11月はハマギクが満開です。 「百聞は一見に如かず」ぜひこの魅力をたっぷり感じてほしいです。 みなさん、唐桑の遊歩道を一緒に歩きましょ~!!!
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早春の大島をノルディックウォーキングしよう!2017
早春の気仙沼大島をノルディックウォーキングしよう!2017 *JNFA桜に会いに行こう* 3月18日(土)気仙沼大島でノルディックウォーキングをしてみませんか? 初心者向けの「海岸コース3km」熟練者向けの「亀山登山コース8km」自然豊かなコースを楽しもう! ■ 開催概要 日時:2017年3月18日(土)9:15~13:15 集合場所:大島汽船 大島発着所前広場 定員:50名 参加料:大人2,100円(消費税・保険料・昼食代) 講師:JNFAインストラクター ◇下記サイト、チラシにて詳細をご覧ください。 ・イベントサイト ・チラシ(PDF) ■お申し込み 下記の申込用紙をご覧ください。 申込用紙(PDF) 申込締切:3月3日(金) ■ 主催・お問合せ NPO法人 日本ノルディックフィットネス協会 TEL:022-277-8477 HP:http://jnfa.jp/
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【UIターンインタビュー】自分らしく、「楽しい」を積み重ねる
人生の方向性がなんとなく見えた学生時代 生まれは兵庫県で、大学まで一貫して兵庫県で過ごしました。兵庫での学生時代は全体を通してすごく楽しかった記憶があります。 ただ、自分が思う通り、好きなようになっていたので、あんまり真面目な生徒ではありませんでした。ここでは具体的に言えませんが(笑)。 高校時代はバドミントン部に所属していて、部活にはすごく打ち込んでいて、とても楽しかったです。 引き換えに勉強はまったくしていなかったので、成績は学年でも下の方でした。それを見かねて、部活の顧問だった先生が、自分の教科だった英語だけでもなんとかしたい、ということで、集中して勉強できる環境を作ってくれました。その先生は私の特性を見抜いて、「この子は耳から覚えた方が伸びる」と考えたようで、ALT(外国語指導助手)の先生と英会話をする時間を沢山作ってくれました。 そんなことを1週間続けていたら、なんと英語の成績が学年1位になってしまったのです!その経験から勉強に対して自信がついてきましたし、またその頃から漠然と、海外に行きたい、という将来の方向性も見えてきました。 大学で出会った「生き方」 大学時代に一番のめり込んだのは、韓国・中国でのワークキャンプでした。 大学1年の頃から、FIWCという学生団体に所属し、韓国や中国の山村部にある、ハンセン病の快復者の方が暮らす村に1週間程度滞在するボランティア活動を行っていました。 高校時代からあった海外に対する興味を大学で叶えたいと思い、色々なサークルや団体を探していました。そのなかで出会ったのがFIWCでした。 その団体は、学生だけでなく、社会人も多く参加している団体で、その場にいる一人ひとりがとても魅力的でした。加えて、まじめなボランティアというイメージよりも、参加している人がただただ楽しそうでした。そこに惹かれて、大学1年生の最初の頃から、活動に参加することになりました。最初の夏休みに初めて韓国でのキャンプに参加して、ワークキャンプの意義、自分たちが行く意味、村の実態など、たくさんのことを考え、感じました。 1回目のキャンプを終え、この活動にのめり込みつつありましたし、周りからも来年は全体のリーダーをやって欲しい、と言われるようになりました。自分が最初のキャンプで感じたことをもっと深め、より良いものにしていきたいと思っていたので、リーダーを引き受け、次の夏に向けて1年間かけて取り組むことにしました。 準備の一環として、秋から冬にかけては、仲間と韓国の別の村に行きましたし、FIWCのネットワークを通して、様々な人たちと会って話しました。FIWCは全国に支部があって、同じような活動を行っている人たちと沢山出会うことができました。そこで出会った人はみんな熱い人たちで、改めてこの団体はやばいな、と感じました。その繋がりを通して出会った先輩の一人が、中国で活動していたこともあり、その年の春に中国の村にも行きました。 そこでもたくさんの刺激があり、自分のプロジェクトを絶対いいものにしたい、という気持ちで帰国しました。そんな思いを持って帰国した数日後、東日本大震災がおきました。 真っ先に飛び込んだ気仙沼 震災が起きた当初から、FIWCとして気仙沼に行くという話が上がっていました。自分の周りでも、ボランティアに行くと言っている人が多かった。 しかし当時の私は、すぐに行こうとは特段思っていませんでした。明確な理由はないのですが、何か違う気がしていました。しかし、同じサークルの先輩と話していていた折、「今はボランティアにいくべきではない、ニュースなどでもそう言っている」という発言を聞いたときに、なぜか腹が立ち、現地にいく事に決めました。当時はメディアも声高に、「無闇にボランティアに行かないで、復旧活動の妨げになります」と報道していた時期で、その報道に違和感を感じていたことがその理由でした。現場の事は本当に行ってみないとわからない、又聞きの情報を鵜呑みには出来ない。中国での経験から、現場を知ることの大切さを身をもって感じていたので、そんな思いがこみ上げてきました。 そんなきっかけで、その年の3月24日、FIWCが行っている東北ボランティアの第1陣として気仙沼市唐桑町へボランティアに入りました。最初は短期間のつもりで入ったのですが、第1陣ということで、町内のことを調べたり、ボランティアの活動基盤を整えたりととても忙しく、結局1ヶ月ほどいる事になりました。最初の滞在のあとは、唐桑と兵庫を何度も行ったり来たりし、活動を行っていました。 ボランティアを通して同年代の仲間も数多く出来ましたし、何より地元の人達が名前を覚えてくれて、ボランティアに来る度に声をかけてくれるのがすごく嬉しかったです。その後3年生になり、学業や就活などが忙しくなってしまったので、唐桑に行く頻度は半年に一度くらいになってしまいました。そんな就活時に、一つの転機がありました。 移住を決めた「これ」 当時の私は、マスコミ関係を志望しており、普通に就活をしていました。そして、3年生の終わりに無事内定ももらい、進路が決まったと安心していたのも束の間、とんでもないことに気が付きました。単位が足りず、留年することになってしまったのです。当然内定も取り消し、さすがにその時は凹みました。しかし同時にそのタイミングで、「唐桑に移住しよう」と思ったんです(笑)。 大学時代からずっと考えてはいたのですが、就活を終えて、内定もちゃんともらえたことで、自分は一定レベルで社会に必要とされている、と思えるようになりました。であれば、今移住してもいいかなって(笑)。そこから1年半くらいかけて、移住に向けて準備をしていきました。 今は、NPOリアスの森応援隊という団体で働いています。ここを選んだ理由は色々とありますが、一番大きいのは社長に惹かれたことです。私自身、普通の人よりは一人でも生きていく力が強いと思っているのですが、それをもっともっと突き詰めていきたいと思っています。その上で、市内で色々な会社を経営している高橋社長の元で、学び、力をつけていきたいとも思いました。 2015年の4月に移住して1年半が経ち、「これからどうするの?」とよく聞かれますが、実は特に考えていません。私は今この瞬間に全力を注ぎ、楽しみたいタイプの人間で、幸いなことに今がすごく楽しいんです。なので、一瞬一瞬、この楽しさを積み重ねながら生活していきたいなと思っていますし、そんな環境が整っているまちが、気仙沼だと思います。
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【UIターンインタビュー】島の未来を一緒に描きたい
多様性に触れた10代 出身は三重県の津市で、高校まで実家で過ごし、大学から大阪にいきました。小さい頃から学校に行くのが大好きで、友達と過ごすのがとても楽しかった記憶があります。親の方針もあり、小さい頃から沢山習い事をさせてもらい、忙しく過ごしていました。自分で言うのもなんですが、真面目で良い子だったと思います(笑)。 そんな僕ですが、割りと早い時期に大きな挫折を味わいました。私立の中学校受験に落ちてしまったのです。僕には兄がいて、彼が成績のよい私立の学校に合格したこともあり、自分もなんとなく続かないと、という気持ちで勉強し、受験に望みました。しかし、結果は不合格。リベンジのつもりで受けたもう一校の学校も落ちてしまい、当時はかなり凹んでいました。 そこでしかたなく、地元の公立中学に通うことになりました。最初の頃は受験の挫折感を引きずっていたのですが、中学生活が思いのほか楽しくて、次第にその挫折感は薄らいでいったのだと思います。自分が通っていた中学は、実は当時かなり荒れていた学校で、色んな考え方を持っている人が沢山いました。そんな多様性に触れる事ができたので、今となっては地元の中学に通ってよかったと心から思います。また、中学からサッカー部に入って、高校まで部活漬けの毎日でした。それなりに結果も出ていましたし、部活でも色々な人と関われたので、そこも自分の基礎を作ってくれた大切な時間でした。 そんな中高時代を過ごしたので、大学に入ってからも、色んな人にどんどん会って自分が知らない世界をどんどん見たい、と思っていました。いくつもサークルを掛け持ちして、カンボジアやタイなど、海外へも何度か行きました。知らない文化や、自分と違う考えを持っている人と話すのがとても楽しくて、「多様性」というのは自分の中で大切なキーワードになっています。 そんな生活をしていた大学2年生の終わりに、東日本大震災が起こりました。 「何かしなければ」という思いだけで走る テレビなどで震災の情報を見るなかで、自然と「これは何かしなければ」と感じました。何が出来るかわからないけど、関西で仲間を集めて学生団体を作りました。そして、まずは現地の情報を知らないといけないということで、その年の5月頭に、大阪から車で被災地に入りました。色々な人を頼って、石巻、気仙沼、陸前高田のボランティアセンターを訪れ、お話を聞いてまわりました。その時は情報を集めるので精一杯で、具体的な活動を行うまでには至りませんでした。しかしその時、気仙沼のボランティアセンターで、大島に全くボランティアが入っておらず、復旧作業が滞っていることを知りました。その情報を持ち帰り、仲間たちと話し合った結果、再び大島に入り、ボランティア活動を行うことに決めました。理由は単純で、自分たちの手が必要とされていると感じたからです。同じく訪問した石巻などは、すでに多くのボランティアが入っていているので、せっかく今動くなら、より必要としてくれるところへ行こうと思ったのです。そこから一緒にボランティアへいく人を募ったところ、なんと100人もの学生が集まりました。そのメンバーと共に、5月の末に大島へ入り、3日間ほどボランティア活動を行いました。それが最初の大島での活動となりました。 地域の変化と共に動く その後は、同じ年の9月に40人規模でボランティアに行ったり、月に1回程度、定期的に訪れて活動を行っていました。1年ほどそんな形で活動していましたが、徐々に瓦礫撤去などが落ち着いてきて、これまでの延長線上では地域のために役に立てない、という状況になってきました。それでも、まだまだ大島に関わっていたいと思い、自分たちに出来ることはないかと考えました。そんな中で、今の大島で「子どもが落ち着いて勉強出来る場所がない」、「外で思いっきり遊ぶ機会がない」ということに気がつき、2012年の3月頃から子供達向けの活動を行うことにしました。 大学生が大島を訪れ、小中学生に勉強を教えたり、外で思いっきり遊べる運動会を開催したりと、子供と触れ合う機会を多く持つことが出来ました。その活動を通して、自分の中で一つの変化がありました。それは、被災した島の子供たちに対して、より継続的な支援をしていきたいという思いが芽生え始めたことです。活動を通じて、気仙沼の教育が抱える危機的な状況がリアルに感じられるようになり、そこを解決していきたいと思うようになっていました。 ちょうど進路に悩んでいた時期でもあり、自分が今やりたいこと、出来ることは何かと考えた結果、大島に移住して教育現場に関わり続けようと決心しました。 島の子供たちと未来を描く 2014年に移住してからは、島の教育にまつわる色々な活動をしてきました。学校外で落ち着いて勉強が出来る寺子屋を立ち上げて運営したり、月に1回、大島の子供たちと島内にあるお店やスポットを取材して新聞にまとめる、地域教育活動などを継続して行っています。また島以外でも、一般社団法人i.clubという教育系のNPOに所属し、気仙沼市内で高校生向けの授業を受け持っています。 大島には小学校と中学校が1つずつしかなく、他の地域と同じように年々児童数が減っています。島の中だけでは十分な教育機会がなく、気仙沼市内に出るにも定期船に乗って通わないといけません。そんな限られた環境の中で、島の子供たちが地域の良さに気づき、自らの夢や将来に向けて前向きに生きていけるような機会を作っていきたいと思っています。 正直まだまだ大変なことだらけで、日々忙しく動き回っていますが、移住したことで島のより細かい変化も手に取るようにわかり、日々すごく楽しいです。島に来てから沢山の方に助けて頂いて、今生活出来ているので、早く役に立てる存在になり、何かを創造して地域に還元し続けていけるようになりたいと思っています。 神田 大樹(かんだ ひろき)さん 1990年三重県生まれ。2014年大阪大学理学部物理学科を卒業。在学中に起こった東日本大震災をきっかけに、ボランティア活動等を通じて宮城県気仙沼市の離島大島に通い、卒業後に移住。現在は、一般社団法人i.clubにて「未来をつくるアイデアを生み出す」ための教育プログラムの開発・実践に携わるとともに、大島での地域教育の場である「島がっこう」を運営する。