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【宿泊施設利用型】3泊4日から滞在可能!お試し移住補助金
補助対象者(※以下の全てに該当する方) ①申込時に原則20歳以上の方(20歳未満の方はご相談ください) ②気仙沼市外にお住まいで気仙沼市への移住を検討している方 ③滞在後のアンケートや「気仙沼のおすすめ紹介」の提供、「気仙沼ファンクラブ」への入会など、当事業の改善・リピートにご協力いただける方 お断りする方 ・観光目的や帰省、通勤(アルバイト・有償インターンを含む)のためのご利用 ・隣接市町にお住まいの方 (気仙沼の就職活動や住まい探しなど具体的な移住に関する予定がある方は対象となる可能性があります。ご検討の方は、別途お問い合わせください) ★気仙沼ファンクラブについてはこちらから https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s022/010/020/010/01/010/1364278773650.html 補助対象期間 3泊以上2週間以内(3泊4日~13泊14日) (※12月28日から翌年1月4日の間は利用できません) 13泊以上の滞在をご希望の方は「気仙沼市お試し暮らし住宅のご案内」をご覧ください。 ※滞在中の利用期間延長は基本的に受け付けておりませんので、ご了承ください。 事業期間 令和7年3月1日(2月末日宿泊分まで対象) ※予算が上限に達し次第終了となります。 補助対象費用 ●宿泊施設への素泊まり料金の実費額 ※宿泊先での飲食代は対象外になります。 ●レンタカーの利用料金の実費額 補助金額 ●宿泊費(宿泊施設への素泊まり料とレンタカー借上料込み) 1人1日あたり上限6,500円まで ※補助金額に1,000円未満の端数が生じた場合、補助金額はこれを切り捨てた額になります。 対象宿泊施設 ●市内に本店を有する法人又は市内で事業を営む個人の宿泊施設事業者 (※上記以外の宿泊施設を利用しても補助金は出ませんのでご注意ください) 外部サイト「workations」で市内の宿をご覧いただけます。 交通事情 ● 滞在中は、自家用車またはレンタカーでの移動を推奨します。 利用開始フロー ① 応募受付は随時行っております。 但し、お申込み受付は【利用開始希望日の2ヶ月〜2週間前迄】の受付期間内となります。 こちらのお申し込みフォームよりお申込みください。 (申し込みフォームのご利用が難しい方は、お電話にてお申し込みください。) *注意【利用開始日について】 日曜日・月曜日・祝日の利用開始日・終了日の設定にはご対応できません。 利用開始日・終了日は、火曜日〜土曜日のいずれかの日程でのご予約をお願いいたします。 申請いただいた後に確認にお時間がかかりますので、早めのお申込みをお願い致します。 ② 面談 オンライン会議システム「zoom」を使った面談を行います。面談では申込の動機や滞在中に希望されることをご確認させて頂きます。 (「zoom」使用が難しい方はご相談ください。) ③ 利用決定 面談後、ご利用の可否をご連絡致します。 ④ 滞在気仙沼への滞在を心ゆくまでお楽しみください。滞在費やレンタカー利用料のお支払いはまずは利用者様にしていただきます。補助金のお支払いは後日になります。 ※滞在予定の宿泊施設のご予約は利用者様ご本人にお願い致しております。 ※宿泊施設をキャンセルされる場合のお手続きは、利用者様ご本人が必ず行なってください。 ⑤ 補助金交付申請 滞在終了日から1ヶ月以内に「気仙沼市お試し移住事業(宿泊費・レンタカー借上料)補助金交付申請書」をご提出頂きます。 (※その際に滞在やレンタカー利用の証明として領収証が必要になりますので無くさないよう保管ください。) ⑥ 補助金請求申請 決定通知後、補助金の請求書を提出していただきます。ご提出後1ヶ月以内にはご請求金額をお振込させていただきます。 ●まずはスタッフにお試し移住について聞いてみたい方はこちら ●お試し移住のお申込みはこちら 気仙沼移住体験ツアー 滞在中、3時間程度のツアーを体験していただけます。 所要時間の目安はどのコースもおよそ90分です。 ①【まちを知る】水産業コース 水産情報等発信施設で漁業を学び、魚市場をご案内します。タイミングが良ければ水揚げ風景が見られるかも!? 対象:気仙沼に初めて滞在する方・気仙沼を何度か訪れたことがあり、もっとまちのことを知りたい方 ②【まちを知る】歴史コース MINATOのスタッフから気仙沼のまちの概要について約20分ほどご説明します。その後、「東日本大震災遺構・伝承館」で歴史を学ぶコースです。 ※スタッフは伝承館には同行しません。 対象:気仙沼に初めて滞在する方・気仙沼を何度か訪れたことがあり、もっとまちのことを知りたい方 ③【暮らしを考える】ライフスタイル相談コース お仕事や住まい、ライフスタイルについてMINATOスタッフがお話を聞かせていただき、それを踏まえてカスタマイズしたサポートをさせていただきます。 対象:気仙沼への移住を具体的に考えている方 コワーキングスペース利用料無料! お試し移住プログラムをご利用の方は、年会費1,000円で利用できるコワーキングスペース「□ship(スクエアシップ)」を無料でご利用いただけます。利用をご希望の方は気仙沼にいらした際にスタッフにお知らせください。 ※ご利用には会員登録が必要です。 □shipの詳細はこちらから https://machidai-kesennuma.jp/ その他 ●利用は同一年度でお一人様1回までとします。 ●ご予約いただいた宿泊施設等のキャンセル料の一切は自己負担となりますので、予めご了承ください。 ●本プログラム(お試し移住補助金、お試し暮らし住宅)では保険の加入は含まれておりません。参加期間中の事故等については、市は一切の責任を負いかねます。お試し移住プログラム参加のご出発の前に、利用者様ご自身で国内旅行損害保険等にご加入いただくことをおすすめ致します。 ●体調がすぐれないと感じた方は、参加前・参加後にかかわらず、すみやかにご連絡ください。 お試し移住事業関連書類 令和6年度気仙沼市お試し移住事業(宿泊費・レンタカー借上料)補助金交付要綱 お申し込み ●まずは制度について詳しく聞いてみたい方はこちら ●お試し移住の申し込みフォームはこちら ●最大2カ月!お試し暮らし住宅でゆっくり滞在しませんか? お問い合わせ 気仙沼市移住・定住支援センターMINATO 〒988-0018 宮城県気仙沼市南町海岸1-11 気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ2F TEL&FAX 0226-25-9119 Mail info@minato-kesennuma.com 営業日:火〜土 10:00〜18:00 定休日:日・月・祝日 気仙沼へのアクセス
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コラム #7 親子で地方に移住するってどんな感じ?
今回親子おためし移住を体験したSさんファミリーは、首都圏の4人家族。としきさん、みきさんと3歳の息子さん、0歳の娘さん。としきさんは人材総合サービス会社に勤務し、週1は出社、それ以外はテレワーク。みきさんは現在育休中で、長期間滞在できるこのタイミングで、10月半ば〜11月初めの2週間、気仙沼に滞在しました。 ー親子おためし移住を利用したきっかけは? (としきさん)家族が増えてこれから住む場所を考え始めていた時に、気仙沼親子おためし移住を体験した友人にこのプログラムを教えてもらったことがきっかけです。ほかの地方移住体験もしていたのですが、気仙沼は学生時代に何度も足を運んだ好きな場所なので、縁を感じました。 ー気仙沼に来る前に不安はありましたか? (としきさん)行くのをとても楽しみにしていたので、あんまりなかったですね。あるとしたら、住んでいるところから距離があるので移動手段について家族で相談しました。車で行くか、新幹線で行ってレンタカーを借りるか悩んだのですが、0歳の娘は長時間車に乗っていられないので、結局は僕が自家用車で、妻と子どもたちは新幹線で二手に分かれて移動することにしました。 ー気仙沼での滞在ではどんなことをしましたか? (としきさん)たくさんの地域の方に出会いましたね。MINATO(気仙沼市移住・定住支援センター)のスタッフの方に移住者の人たちを紹介してもらったり、その人たちと一緒にランチしたり、バーベキューにも誘ってもらったり。それから、大学生の時に震災ボランティアで気仙沼に来た時に知り合った人と久しぶりに再会したりして。本当にたくさんの人に会えました。あとは、唐桑地区にある戸建ての住宅で暮らしていたんですが、近所のおばあちゃんからカツオをいただいたり、新鮮なお魚や野菜をいただいたり。気仙沼の食もたくさん楽しみました。 伝承館(気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 @kesennuma_memorial )にも行かせてもらいました。息子は津波のことを詳しく知らなかったんですけど、小さいながらいろんなことを感じていました。親としても、このまちで起きたことを学べたのは大きかったなと思います。 (みきさん)こうしてご縁をいただいたからには、ちゃんと知っておきたいなと思っていたので、行くことができて良かったです。 Photo by Momoko Shida ー気仙沼で保育所に息子さんを預けてみて、どうでしたか? (みきさん)海が見える保育所で、景色がよくて庭も広くてとても素敵な場所でした。先生たちが本当に優しくて、穏やかな気持ちで送り迎えをしていました。もう、行くだけで気持ちが洗われるような感じで。唐桑保育所は「中遊びと外遊び、好きな方を選んでいいよ」っていうスタンスでした。子どもを主体とした遊びをさせてもらえているんだなと思って、とても有り難かったです。 ー息子さんの反応はどうでしたか? 本当に楽しく通っていました。朝送る時も「早く帰っていいよ」って言われるほど(笑)一日も休まず通うことが出来ました。 ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (としきさん)息子が家族以外の大人に遊んでもらっていたり、気仙沼の子たちと一緒に遊んでいる風景がすごく印象に残っています。 ぼんやりとですが「こうありたいな」という子育てのイメージがあって。自分たちだけで子育てをするのではなく、いろんな人と触れ合ったり、その中で新しい気づきがあったり「みんなで子育てし合う」ようなことができたらいいなと思っていたんです。 もちろん都会にいても実現できることだと思うんですが、気仙沼はとにかく人との垣根が低いんですよね。子どもたち同士で遊んだり、一緒にご飯をつくって子どもたちと食べたり、一緒にお風呂に入れたり。それから、子どもたちで遊んでいる時に注意しなきゃいけない時「おもちゃを取っちゃ駄目だよ」と注意をしてくれたり。自分たちだけじゃなく、みんなでみんなの子を大事に育てる感じ。家族同士が隔たりなく交流して子育てできるような環境を気仙沼で2週間体験できたのはとても良かったですね。 Photo by Yui Sugawara Photo by Kohei Shikama ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (みきさん)お母さんたちが、「自分たちでまちを良くしよう」と活動している姿がすごく印象的でした。 民間で運営している親子の居場所「わくわくけせんぬま ( @wakuwaku.kesennuma )」に行ったのですが、温かい飲み物が置いてあったり、「いつでも持って行っていいよ」と洋服のお下がりコーナーがあったり。痒いところまで手が届くような素敵な取り組みをされていて、印象的でしたね。 あとは、一時預かり専門託児所の「Omusubi( @omusubi_kesennuma )」 は生後2ヶ月の赤ちゃんから一時預かりができて、しかもそれが無料。(※1)それを活用してお母さんたちが仕事や学びの時間に充てている姿を目の当たりにして、「いつでも無料で子どもを預かってくれるってなんてありがたいの!」って思いました。これはもう、全国のお母さんたちにアピールしたいですね。うらやましいですし、なかなかほかにもないんじゃないかなって思います。 ー不便だったり、大変だったこともお聞きしたいです。 (としきさん)移動手段が車1本に絞られてしまうので、都会と比べるとどうしてもそこは気になるポイントでした。運転に慣れていないと大変だなと思うことがあるかもしれません。 (みきさん)あと、地元の方に「病院事情を知っといた方がいいよ」と聞いて。2週間の間に子どもが少し体調を崩して病院に行くタイミングがあったのですが、混んでいましたね。私たちは1時間ぐらいで通してもらえたのでそこまでではなかったんですけど、「数時間待つこともある」と聞いたのはちょっとびっくりしました。そこは心構えがあると良いかもしれません。 ※1…※気仙沼市に住む第2子以降(0~2歳)は自己負担なしで託児が利用可能。(条件あり) ー今回気仙沼に滞在してみて、変化した考え方はありましたか。 (としきさん)来る前は正直、「地域の人とたくさん関わって、また来れる場所になったらいいな」くらいの感覚でした。滞在してみたら「ここに住むのもいいかもな」って思うようになりました。買い物とか土日の過ごし方とかを実際にやってみて、移住後の生活がリアルにイメージできました。 あと、災害のリスクについてはちゃんと知りたいなと思っていたんです。もともとは、なるべくリスクの少ないエリアに住もうという考え方でした。ただ、気仙沼に来てからは、リスクを避けるだけでなく、、向き合う方も大切だと感じました。今や「ここにいたら絶対に災害は起きない」という場所ってあまりないと思うし、「ここなら大丈夫」と高をくくっていると、いざという時に知識がなく身を守れない。「過去を学び有事に備える」という視点は大事だなと思うようになりました。 ー気仙沼親子おためし移住に興味を持ってきてくださる方に、ひとことお願いします。 (みきさん)私は子育て支援が充実しているのを実感したので、これから来る方には子育て支援施設に子どもを預けて自分の時間をとって、地域のお母さんたちと触れ合う時間をつくるのをおすすめします! (としきさん)気仙沼の方は、心が開いている感じがするんですよね。人を受け入れる器が大きいというか。オープンなので行く人も変に壁を作らずに、オープンにした方が良い出会いがあると思います。やって良かったのは、「お試し移住で来ました」と積極的に伝えること。会話が広がるきっかけになりますし、地域の人たちがいろんなことをお話ししてくれてこのまちの良さをより知ることができるんじゃないかなと思うので、ぜひこの言葉を使ってほしいです。 それから、地元の方も移住した方も、このまちをより良くできないかと一人ひとりが考えているので、いろんな活動が生まれています。自分のやりたいことに向き合って挑戦している人たちがたくさんいるので、それをぜひ現地で実感してほしいですね。 親子で地方に移住する。 それは家族のことや子どもたちのことをたくさん考えた先で「こうしたら自分たちが豊かだと思える生き方に近づけるんじゃないか」と思った時の、行動の選択肢の一つなのだと思う。 ためしにいつもと違うまちで暮らしてみたら、暮らしをより豊かにするきっかけが見つかるかもしれない。 *** 親子おためし移住のことをもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください! https://turns.jp/107112 お申し込みについてはこちら https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/16480/
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コラム#旅人編1-6 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている このまちでは、広い海が私たちの心を大きくさせ、行き来する船が私たちの夢を大きくさせるのかも。 海を、港を、眺めているとそうやって思った。 どこまでも続く海を見ていると、狭い心でものごとを考えていても仕方ないと思う。 大きな船に乗り込んで海に出ていく人を見ると、夢は大きくていいと思う。 私たちは“ちっぽけ”なんかじゃないよ、と言われているような気がした。 気仙沼を歩いてみたら沢山の発見があった。祈りが根付いていて、たくさんの人や物が海を介して行き来している。 この海で、世界とつながっている。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-4 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 世界とつながっている、と感じられる場所は気仙沼にたくさんあるけれど、魚市場のすぐ裏にある「みしおね横丁」にある「ワルーンマハール」もそういう場所のひとつだ。 お店のすぐ向かいには、ムスリムの彼らが礼拝をするための小さなモスクもあるみたい。 いま、気仙沼船籍の船には多くのインドネシア船員がいるという。そんな彼らの写真がぎゅうぎゅうに貼られたボードから、この場所に刻まれてきた思い出を想う。 異国で暮らしていて、大変なことはなかったかな?漁師として成長できた? いまはもう海の先のインドネシアに帰っていった人もいるのかな、元気にしているかな。 およそ5000kmも離れている海のその先へ、思わず語りかけたくなるようなランチタイムだった。 「ミーゴレン」は日本でいう焼きそばみたいな感じで美味しかったな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-3 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼港を歩いてみると、白い船たちが並んでいる景色がとても眩しい。風の強い日が続いていたので、大きな船もたくさん停泊していた。 船の中にも漁師さんらしき人がいて、次の出港に備えていろいろ準備しているみたい。 車もよく行き来していて、運転席から顔を出してちょっとした会話に花も咲く様子。 そういえば、どの船にも渡し橋がある。こんなに細い、はしごみたいな道から広い広い海に出ていくんだな〜と、驚きつつ途方に暮れた。 この橋が、陸(おか)と海をつなぐ道。ここから世界の海へ。ここを歩く漁師さんたちの背中を想像して、少し見上げるように写真を撮る。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-12 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 気仙沼はこの13年で、 まちも、人も、ものすごく変化してきた。 東日本大震災をきっかけに 移住したり、関わりを持ったりした人がたくさんいて、 そのご縁は今でもずっと続いている。 だから、絶対まちは良くなる。 そこから生まれるものだって、たくさんある。 大丈夫だ。 無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、 気仙沼からだから届く言葉だと思う。 大丈夫。 明るい方に、歩いていこう。 photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-11 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 あの日から13年目を迎えて、かずえさんはどんなことを思っているのだろうか。 「まずは、生きててよかったなって。本当に、生きててもらってありがとうって。こうやって13年目を迎えられて、ありがたかったな、幸せだなって。このまちにいる人たちとか、まちから出て行った人も、どこにいる人も、みんなとにかく生きててよかった。 もう二度と、人の命が失われるような、こんな目には合いたくない、二度とね。けど、この13年間、悪いことばかりではなかったなと。”おかげ”って言うのは違うと思うけど、震災があった”から”、出会えた人とか、起きたことが、ずいぶんあるなって。それがありがたかったなって思います 気仙沼は、もちろんできてないこともあるけれども、変われたところもある。だいぶ変われたという自負があるから、また変わろうっていう心映えがある。『もっと変われるかもしれない』って思えたことは、一番良かったことじゃないでしょうか」 気仙沼から、能登の人たちに伝えられることってなんでしょうか、と改めてかずえさんに聞いた。 「気仙沼も、震災以前は閉塞感でいっぱいだったんです。『変わらざるをえない』っていうことが、必ずいいエネルギーに変わるんだと思うの。全国からたくさんの方が手を繋ぎましょうって言ってくると思うし、その人たちと一緒に何かをすることで、これまでしがらみで動けないと思っていたことが、大きく動くきっかけになる。 生きている人たちは、いろんなことを負い目に思ってると思うけど、明るいものを見てほしい!明るいことをじゃんじゃん見て、そっちに向かったら、きっといいことがあるんですよ。能登の人も、もっとよく変わる。それは必ずそうだと思います」 「必ず」というかずえさんの言葉は、「大丈夫だから!」と背中をたたいてくれてるような感じがした。 (4/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-8 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 3人目に会いに行ったのは、気仙沼自慢の豊かな食を全国の食卓に届けている斉吉商店 @saikich_syouten のかずえさん。明るくて、活発で、話すと元気をもらえる人だ。 2011年の3月11日。食品加工の工場、店舗、本社が津波の被害にあった。事前に有事の対応について共有できていたため、従業員が全員無事避難できたのが、不幸中の何よりの幸いだった。 2日後の朝、かずえさんは本社や工場がどうなったかが気がかりだった。「危険だから駄目だ」と言われながらも、いてもたってもいられず、がれきの中を何時間もかけて歩いて見に行った。建物のあった場所は変わり果てていた。火事で真っ黒に焦げた船とまちを見て体が冷たくなる思いがしたという。その時、思いもよらぬ光景がかずえさんの目に飛び込んできた。 「そこにね、真っ白い船が入ってきたの。無傷の船。もう、唖然とした!綺麗で。空も青くて。そうか、沖に出ていた船は無事だったんだ!って。無傷の、たった一つのものみたいに見えたんですよね」 全部ダメだと思った時に見たその光景は、明るい気持ちを思い出させた。 「起こってしまったことって、どうしようもないじゃないですか。だから、少しでも明るい声を出したり、笑ったりできるものを探していたように思います。だって不安でたまらないわけだから。みんな『少しでも明るい話をしよう』って意識があったと思います」 無理をしてでも、少しでも明るくいること。それは自分の気持ちを保つために必要なことだったのかもしれない、と話を聞いていて思う。 (1/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-6 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 高校卒業後の進路は、大学でまちづくりを学ぶことに決めた。 ずっと東京に出たい気持ちもあったし、気仙沼で出会った大人で一番影響を受けた、まるオフィスのたくまさんが学んだ大学だったからだ。 たくまさんのどういうところに影響を受けているのか聞くと、「常に新しいところですね。変化しようとしているところ。一緒にいて面白いなって思います」とゆきちゃんは言う。 大学生になってからもたくまさんとのつながりは絶えず、探究学習の学生コーディネーターとして気仙沼に関わり続けた。 「気仙沼には大学がないから、ちょっと歳の離れたお兄さんお姉さんって、憧れがあったんです。自分が子どもの頃も、大学生が企画したワークキャンプとかに参加して会う機会があって、それで自分もやりたいって思ったんです。あの時はしてもらったから、自分がサポートする側に回ろうって」 元々地元を早く出たいと思って東京へ行った彼女は、今の気仙沼をどう思っているのだろう。 「大学にきて思うのは、帰ってこれる場所があるって良いなって。『ただいま、おかえり』って言ってくれる場所。周りから、ふるさとがあることを「良いな」って言われることが多いんですよ。あとは、面白い人が多いですね。自分の好きなこととかやりたいことを持っていて、自分の人生を生きている人」 東京と気仙沼。大学生活を過ごしながら気仙沼とも関わり続けて活動するのは、簡単ではないだろうなと想像する。それでもずっと気仙沼に関わり続けるのは、なぜだろう。 「声をかけてくれる人たちがいて、その人たちが面白いからです。やる時はちゃんとやるし、ふざける時は全力でふざけるし。そういう大人って良いなって思うし、一緒にいたい、関わっていたいって思います」 かつては、ここには何もないと思っていたゆきちゃん。だけど今、「面白い」と思う人たちは気仙沼にいて、いつも刺激をもらっているのだ。 (2/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-5 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 次に会いに行ったのは、気仙沼出身でこの春大学を卒業したゆきちゃん。 学業に励みながら、気仙沼に定期的に通って地元の高校生たちの探究学習をサポートするなど、高校を卒業してからも積極的に気仙沼と関わり続けている人だ。 「もともとは地元が嫌いだったんですよ。テレビ見てると東京のイルミネーションとか原宿の竹下通りとかが映って、それに憧れてました。ふと見たら、ここには何もないなって思って」 東日本大震災の時は小学3年生。当時、復興ボランティアとしてたくさんの人が気仙沼に関わり、「このまま気仙沼の復興を手伝いたい」と移住する人もいた。夕妃ちゃんは、移住者たちが企画するまち歩きのイベントに参加するようになった。 「移住者の人たちは、歩きながら分からないことが出てきたら、地元の人たちに『これはなんですか?』と聞いて面白がっていたんです。自分は都会に憧れていたし地元を早く出たいと思っていたから、『変なの』って思ってました。それから、『漁師さんってかっこいいよね〜!』と話す方もいて、衝撃的でした。父と祖父が漁師だったので、当たり前すぎて感覚が分からなくて。自分の方が長く住んでいるのに、移住してきた人たちの方がこのまちの良さを知っているのは、悔しさもありました」 いつのまにか、嫌いだった地元を「そういう見方もあるのか」と捉え方が変わっていった。それまでは学校と家を行き来するだけだったのに、週末は大人たちと会うようになり、それがとても楽しかった。 「『こういうイベントあるよ。来ない?』って声をかけてくれるんです。『この大人が言うなら絶対楽しいだろう!」って思って参加してました。楽しいことをやってくれる、ワクワクさせてくれる大人だなと思っていました」 高校生になると、これまた楽しそうな大人たちに誘われて探究型のプロジェクトに参加。探究することの面白さを知り、世界をどんどん広げて行った。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-2 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 浅草の仲見世通りにある、梅干しと定食の店「梅と星」@ume_to_hoshi へ。 鶴亀食堂がここでイベント的に気仙沼産のカツオやわかめ、メカジキを出したり、斉吉商店が海鮮丼を出したりしたこともあり、東京と気仙沼をつなぐ場所にもなっている。 この場所を運営するのは、株式会社バンブーカットの竹内順平さん。 「気仙沼漁師カレンダー」を気仙沼つばき会と一緒に制作してきた、気仙沼と切っても切れないご縁の方だ。 竹内さんが始めて気仙沼を訪れたのは、2012年にほぼ日が開催した「気仙沼さんま寄席」の時。当時は大学を卒業したてで、ほぼ日のアルバイト未満のような状態。お手伝いのような、付き添いのような、そんな形でスタートした。それから「気仙沼のほぼ日」ができて、通う理由ができた。 「何かと手を挙げて、力になれるなら、なんでもやります!って感じでした」 2年ほど働いたほぼ日を卒業してまもない頃、ご縁あって漁師カレンダーの制作に携わることになった。 「ほぼ日にいられたおかげで、微力ながらも力になれる環境にいられたんですけど、卒業したらなんの力にもなれなくて、関わり続ける仕事をつくることもできなくて。そんな中でいただいたお話しだったので、ご縁が切れなかったという喜びは、すごく大きかったですよ」 これまでとは違って、自分でプロジェクトを回していかなきゃいけない中で、どうしたら力になれるのかたくさん考えたという。そして今年、最終章となった10作目が完成した。 「本当に力になれたのか、今も答えはわからないです。でも、なってると思ってもらえたら良いなと思います」 答えはわからない。そう話す竹内さん。どんな思いで気仙沼に関わり続けてきたのだろう。 (1/3) photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-1 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 2024年の1月1日、能登半島地震が起こった。 テレビからは、力強い声で情報を伝えるキャスターの声。 L字バーに津波の到達情報が映し出されている。 みんな逃げてほしい、助かってほしいと祈るしかなかった。 テレビ越しに感じる緊迫した状況の中で、ふとよぎったのは 「あの日、気仙沼もこんな風に見られていたのかな」ということ。 13年前のことを、自然と思い出していた。 この13年、いろんなことがあった。 まちは時間をかけて変化してきた。 そして本当にたくさんの人が、気仙沼に関わってくれた。 気仙沼でがんばる人も、 離れたけどずっと思いを寄せる人も、 あの日を機に気仙沼に関わり続ける人も。 一人ひとりに、13年間の軌跡と、思いがある。 東日本大震災を経験した気仙沼だから 伝えられることがあるんじゃないか。 大げさかもしれないけれど、きっとあるはず。 そう思って、3人の方に会いに行くことにした。 photo by asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから