「instagram」に
関する記事一覧
-
/
-

「けせんぬま子育て応援店」認証制度
第一弾「飲食店」55店舗認証 気仙沼市では、子育て世帯の来店を歓迎する気持ちがあり、利用しやすい環境の整った店舗を「けせんぬま子育て応援店」として認証しました。 店舗の詳細情報は、インスタグラム(新設)で順次発信します。 けせんぬま子育て応援店インスタグラム 認証項目 ●子育て世帯の来店を歓迎してくれる ●来店の際に使える駐車場がある ●離乳食の持ち込みができる ●子ども用の椅子が1脚以上ある ●禁煙もしくは分煙の店舗である ●キッズメニューがある(又は、取り分けて子どもに食べさせられるメニューがある) ●子ども用の食器(コップ、スプーン、フォーク、お椀または深皿)が2つずつ以上ある 店舗によっては、以下のものがあります!子育て世帯はさらにうれしい!! ●手洗い場に踏み台がある ●おむつ交換ができるスペースがある(テーブルのみの店舗) ●子どもを寝かせることができる(ベビーカー入店ができる、もしくはスイングラック等がある) ●フードカッター、エプロンがある 特別デザインのロゴと「海の子ホヤぼーや」が認証店舗の目印です! ●このイラストは、ホヤぼーやが赤ちゃんの頃をイメージして書き下ろしてもらった「けせんぬま子育て応援店」限定デザインです。 お問い合わせ先 けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム「コソダテノミカタ」 info@kosodate-no-mikata.org
-

【イベント開催】気仙沼で自分らしく働いてみた話
気仙沼でインターンやワーホリを経験した方、気仙沼に戻って来たい方におすすめのイベントです! 複数の企業に就労する新しい働き方をつくっている、「気仙沼ジョイントワークス協同組合」。現在組合で自分らしく働く3名のトークイベントが開催されます。 「自分のやりたいことを探したい!」 「自分の好きなことを伸ばしたい!」 「今までの働き方は自分に合わないから変えたい!」 そんな方におすすめです。 何かしたい、何か変えてみたい、その一歩も見つかるかもしれませんよ。 インスタライブで気軽に参加できるようなので、ぜひお気軽にご参加ください! イベント概要 気仙沼で自分らしく働いてみた話 ▶︎第1夜 【終了】 「学生時代に出会った好きなまちで休学して1年間働いてみた話」 2025/1/13(月)19:30-21:00 大保航貴さんと 気仙沼が好きになったきっかけを作った 気仙沼ふるさとワーホリ( @kesennuma.gh_kakehashi )の事務局 今村ちひろさんとお話しします ▶︎第2夜 「自分の好きなことを仕事にしてみた話」 2025/1/28(火)19:30-21:00 山中雄斗さんと 気仙沼に戻ってくるきっかけとなった ( @slowhouse_kesennuma )の話やそこで見つけた 好きなことをジョイントワークスでしたみたお話をします ▶︎第3夜 「個人事業を応援してくれる会社で働いてみた話」 2025/2/17(月)19:30-21:00 渡辺修司さんと 個人事業立ち上げまでやその後を見守る 気仙沼まち大学協議会( @square_ship )の志田淳さんとお話しします 【開催方法】 Zoom&instagram live ▷ZOOM ジョイントワークスの働き方を詳しく聞きたい方におすすめ ※zoom参加をご希望の方はこちらからお申し込みください ▷Instagram live まずは気軽に参加したい、ちょっと話を聞いてみたい方におすすめ 時間になったらのぞいてみてくださいね! https://www.instagram.com/kesennuma_jointworks/ 【お問合わせ】 mail: joint.works.k@gmail.com ………………………………….
-

コラム#旅人編1-6 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている このまちでは、広い海が私たちの心を大きくさせ、行き来する船が私たちの夢を大きくさせるのかも。 海を、港を、眺めているとそうやって思った。 どこまでも続く海を見ていると、狭い心でものごとを考えていても仕方ないと思う。 大きな船に乗り込んで海に出ていく人を見ると、夢は大きくていいと思う。 私たちは“ちっぽけ”なんかじゃないよ、と言われているような気がした。 気仙沼を歩いてみたら沢山の発見があった。祈りが根付いていて、たくさんの人や物が海を介して行き来している。 この海で、世界とつながっている。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#旅人編1-5 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 内湾のシンボルスポットだという「神明崎(しんめいざき)」に足をのばす。 きらきらと光る海面に見とれていたら、福がある顔をした恵比寿さまに出会う。 いつも座っている恵比寿さまが海に向かって勇ましく立ち上がっている!全国でも珍しい「立ち恵比寿」なのだというから驚いた。 —- 大漁と航海安全は気仙沼市民の絶えざる祈りである どこかに記してあったこの言葉が思い出される。 そういえば、安波山の名前の由来も、海のそばにある神社さんも「大漁祈願・航海安全」を祈ってのことらしい。 まちのいたるところで見かける鮮やかな大漁旗も、夏の一大イベントであるみなとまつりも。 何をするにも、今日も明日も、大漁祈願・航海安全。 そんな絶えざる祈りが、恵比寿さまを立ち上がらせちゃっているのかもしれない。 今日はひとりの旅人として、ここ気仙沼から世界の海へ大漁祈願と航海安全を祈らせていただきます。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#旅人編1-4 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 世界とつながっている、と感じられる場所は気仙沼にたくさんあるけれど、魚市場のすぐ裏にある「みしおね横丁」にある「ワルーンマハール」もそういう場所のひとつだ。 お店のすぐ向かいには、ムスリムの彼らが礼拝をするための小さなモスクもあるみたい。 いま、気仙沼船籍の船には多くのインドネシア船員がいるという。そんな彼らの写真がぎゅうぎゅうに貼られたボードから、この場所に刻まれてきた思い出を想う。 異国で暮らしていて、大変なことはなかったかな?漁師として成長できた? いまはもう海の先のインドネシアに帰っていった人もいるのかな、元気にしているかな。 およそ5000kmも離れている海のその先へ、思わず語りかけたくなるようなランチタイムだった。 「ミーゴレン」は日本でいう焼きそばみたいな感じで美味しかったな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#旅人編1-3 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼港を歩いてみると、白い船たちが並んでいる景色がとても眩しい。風の強い日が続いていたので、大きな船もたくさん停泊していた。 船の中にも漁師さんらしき人がいて、次の出港に備えていろいろ準備しているみたい。 車もよく行き来していて、運転席から顔を出してちょっとした会話に花も咲く様子。 そういえば、どの船にも渡し橋がある。こんなに細い、はしごみたいな道から広い広い海に出ていくんだな〜と、驚きつつ途方に暮れた。 この橋が、陸(おか)と海をつなぐ道。ここから世界の海へ。ここを歩く漁師さんたちの背中を想像して、少し見上げるように写真を撮る。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#旅人編1-2 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼湾を一望できると聞いて、安波山に登る。よく晴れた日で本当に気持ちがいい。 駐車場から遊歩道へ向かうと、貝殻やビー玉で飾られたエリアがある。タイルで作った文字が「1990年」と言ってるってことは、これ1990年に作られたってこと?と予想する。 そのなかの一つに「オーストラリア△」という方角を示すものが残っていた。このまま海をすすんでいけば、オーストラリアまで行けちゃうなんて。急にスケール感が大きい。 日焼けしてしまって、何が書いてあったかもわからなくなった謎の円盤もある。 この謎の円盤には何が記されていたんだろう。「オーストラリア」が残っているなら「アメリカ」かな「ハワイ」かな。「パリ」や「ローマ」かもしれない。 さっきの円盤に何が書いてあったか知っている人、この世界のどこかにいるかな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#旅人編1-1 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている ── 世界はこの海でつながっている。 誰もが知っている変わらない事実から、無限の想像が広がる。 目の前に見えている世界だけがこの世界ではなく、この海の先にも知らない誰かの暮らしがある。遠く離れた海で船上の誰かがこちらを想っている。向こうからこちらを眺めている人がいるはずなのだ。 今日は潮風に身を任せて、気仙沼の海の先を想像してみたり、港を歩いてみたり。 今回は旅人編。 海が好きで三陸沿岸や港町によくいる旅人、さみが 潮風に身を任せて、気仙沼を歩いてみて見つけたことを紹介します。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#4-12 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 気仙沼はこの13年で、 まちも、人も、ものすごく変化してきた。 東日本大震災をきっかけに 移住したり、関わりを持ったりした人がたくさんいて、 そのご縁は今でもずっと続いている。 だから、絶対まちは良くなる。 そこから生まれるものだって、たくさんある。 大丈夫だ。 無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、 気仙沼からだから届く言葉だと思う。 大丈夫。 明るい方に、歩いていこう。 photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#4-11 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 あの日から13年目を迎えて、かずえさんはどんなことを思っているのだろうか。 「まずは、生きててよかったなって。本当に、生きててもらってありがとうって。こうやって13年目を迎えられて、ありがたかったな、幸せだなって。このまちにいる人たちとか、まちから出て行った人も、どこにいる人も、みんなとにかく生きててよかった。 もう二度と、人の命が失われるような、こんな目には合いたくない、二度とね。けど、この13年間、悪いことばかりではなかったなと。”おかげ”って言うのは違うと思うけど、震災があった”から”、出会えた人とか、起きたことが、ずいぶんあるなって。それがありがたかったなって思います 気仙沼は、もちろんできてないこともあるけれども、変われたところもある。だいぶ変われたという自負があるから、また変わろうっていう心映えがある。『もっと変われるかもしれない』って思えたことは、一番良かったことじゃないでしょうか」 気仙沼から、能登の人たちに伝えられることってなんでしょうか、と改めてかずえさんに聞いた。 「気仙沼も、震災以前は閉塞感でいっぱいだったんです。『変わらざるをえない』っていうことが、必ずいいエネルギーに変わるんだと思うの。全国からたくさんの方が手を繋ぎましょうって言ってくると思うし、その人たちと一緒に何かをすることで、これまでしがらみで動けないと思っていたことが、大きく動くきっかけになる。 生きている人たちは、いろんなことを負い目に思ってると思うけど、明るいものを見てほしい!明るいことをじゃんじゃん見て、そっちに向かったら、きっといいことがあるんですよ。能登の人も、もっとよく変わる。それは必ずそうだと思います」 「必ず」というかずえさんの言葉は、「大丈夫だから!」と背中をたたいてくれてるような感じがした。 (4/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#4-10 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 かずえさんは、市内の女性が集まってまちを元気にする「気仙沼つばき会」の活動も行っている。 つばき会は今年2月、気仙沼の2040年をみんなで考える「みらいワークショップ」を開催した。気仙沼出身の高校生や大学生、地元企業の代表など、年代も肩書きも多様な人たちが集まって、「こんな気仙沼はいやだ」「こんな気仙沼がいい」をあれこれ話し合った。その時かずえさんは、こんなことを思ったという。 「若い人たちが、いろんなことを考えて動き出しているの。沼コス(高校生が企画・開催したコスプレイベント)っていうのもやってたでしょ。びっくりするよね。素晴らしいなって思うの。そういう人たちが育ってるんだっていうことが、頼もしいなって。 私の歳になると、長く生きてしまってるからいろんなことを考えてしまうんだけど、それは辞めたほうがいいんじゃないかって思う。まちも、国も、今から前例のないフェーズに入っていくから、『自分たちが持ってる知見なんてそんなに役に立たない』ってことを、まずは自分が肝に銘じようと思ってる。若い人たちにのびのびやってもらえるように、全力で応援できるような体制を取りたいなって思っています。 人口減少だとか、問題は山ほどあるけど、やろうとしていることを、まず全力でやったらいいんじゃないかって。やってみて失敗するのを繰り返すうちに、いろんなことができていくんじゃないかなって思うので。そのほうが良くなるんじゃないかな。とにかく、やってみないとわかんないでば!」 (3/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
-

コラム#4-9 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 同じ市内でも、被災状況は人それぞれ。 だからこそ、お互いに気を遣う空気感があった。 かずえさんに、当時のことを聞いた。 「(津波で)家が流されなかったところもあるでしょう。だから、(家を流された)私に合わせようとするの。お通夜さ行った時みたいな感じ。海の近くに会社や工場があったから、全部流されているんだろうなってことは、みんなわかるじゃないですか。私に寄り添って、みんなそういうトーンで話してくれる。 それがね、本当に大変になってきたの。合わせてもらっているトーンに合わせるのが。それに合わせると、メンタルがやられそうな感じがしたので。 だから、もっと自分のフラットなトーンでいいやって思い始めて。しょうがない、大丈夫、大丈夫!って。『何か私にあげてもいいものあったら、もらうからちょうだい!』って自分から言うくらいに。そういう感じに変わったっけ、楽になってきた。 あんまりさ、家がなくなった人たちに悪いって思わないでいいよって思ってる。それで、自分をもっと楽にさせたほうがいいなって思うようになった」 そう思う一方で、それは従業員や家族が助かったからそう言えるのだと思う、とかずえさんは言う。 「何もいらないから、人命だけ助かれば、あとはなんとかなるからって、本当にそう思ってる。今も、こうして生きているし、当たり前の暮らしができるようになったし。だから、生きていたら、なんとかなるんですよ」 (2/4) photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから