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vol.27【気仙沼移住女子】こまちの場合
〜こまちの場合〜 「移住女子 × 地下アイドル」 “大学時代に隣町の南三陸町に通ってて。それまで学校というコミュニティから出たことなかったので、いろんな世代の人と会って話す機会がたくさんあって、こういう考え方あるんだな、こういう生き方あるんだな、ってそれがたのしくて。 知り合いに連れられて、2014年の秋、気仙沼に初めて来たんです。ちょうどその頃、ほかのみんなは立派なところに就職するのに公務員試験に落ちた自分はなにやってるんだ、って心が病んでたときで。その初めて来た日にちょうど春からの市役所の仕事を紹介してもらって。「一応公務員だよ」って言われて、「公務員ならいっか」って、藁にもすがるみたいな。笑 いま思えば、あの勢いはなんだったんだろう?笑 来たことを後悔したこともあったけど、仮に一般企業とか、ほかのまちで公務員になってたことを思うと、いま生きてたのかわかんない。気仙沼にきて、いろんな人に会って、いろんな生き方を見て、自分とも向き合えた気がしたし、この道を通ってよかったなって。” *こまち(28) *出身地:富山 *仕事:気仙沼図書館 “女子4人で唐桑のシェアハウスに住んでいます。すきなときにリビングに集まって、すきなときに自分の部屋に戻る。本当に落ち着いた家族みたいになってきたかな。人が自分のことどう思ってるのかすごく気にするタイプだけど、このシェアハウスはみんな素直だし、いいことも悪いこともちゃんと言ってくれる。 たまに市内でライブをしたりもしています。呼んでもらえるってありがたいよね。他にもめちゃくちゃうまい人っているじゃん、気仙沼に。それでもその場に自分が必要とされてるなって思えることってうれしいですよね。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.10)
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vol.30【気仙沼移住女子】いつこの場合
〜いつこの場合〜 ”学生時代、2011年にボランティアで来て、そのあと1年間滞在していたことがあって、それから生活の拠点が変わっても気仙沼・唐桑のことはいつも心にあって。東京での生活や仕事は楽しくて充実していたけれど、コロナ禍で行動や会える人が制限されて自分自身と向き合う時間が増えていく中で、改めて自分がどんな人間になりたいかなって考えたら、思い浮かぶのがびっくりするぐらい唐桑で出会った人ばっかりだったんだよね。とはいえ、仕事も住む場所も一気に変える勇気はなくて。いまの仕事も好きだから続けたかったし。去年9月にお試し移住のモニターで1週間来たときに思った以上に環境が整っていて、これならリモートワークができるなってわかったので、まず思い切って3ヶ月行ってみよう!って。" *いつこ(32) *出身:埼玉 *仕事:リモートワーク(医療機器メーカー) "いまは、唐桑のシェアハウスに滞在して、昼間はコワーキングスペースで仕事をしています。港を眺めながら仕事をして、仕事終わりにはウォーキングして、海みて、夕日みて、星空みて、雄大な自然と季節を感じられる。山の幸も海の幸も相変わらず最高に美味しくて。本当にぜいたくだなぁって。東京での生活とガラッと変わりすぎて、ちょっとまだ気持ちが追い付いていないかも。笑 東京の気楽さが恋しくなるときもあるけど、「おかえりなさい」って温かく迎えてくれる人たちがいることがとてもありがたいし、うれしい。家でシェアメイトと話したり、こんな人になりたいって思う人たちと過ごす時間から学ぶこともたくさん。自分のことより相手のことを想っての言動がすごく多いなぁと。こういう人たちのそばにいて、自分が成長できるなって感じるし、思い切って来てみてよかったな。やっぱり自分を変えたいなら環境を変えることがいいなって実感しました。これからもここにいれたらなって思うし、この先どんな出会いや変化が待っているのかわくわくしています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.4.1)
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vol.29【気仙沼移住女子】ともちゃんの場合
〜ともちゃんの場合〜 “気仙沼にくる前は京都で織物の仕事を10年ぐらいやってたんですが、結婚をきっかけに気仙沼に移住して、いまはまったく違う観光のお仕事をしています。結婚した相手も震災の復興きっかけの移住者だったので、頼る人は夫以外いない、という環境で2015年に移住して、「呼ばれてないのにきちゃった」ってやつ。笑 田舎で住む、という経験は20代前半でやったことがあったし、都会でできることは十分したな、と思ってたから、引っ越す踏ん切りはつきました。見ず知らずの土地に引っ越して知り合い増やしながらなんとかなるかな、って。移住する前に気仙沼にきたのは2回だけでした。そのときに、近所の方が「若い人いっぱい移住してきて、うちにもよくきてるから、なにかあったらうちにきてくれればいいよ」って。こんな人たちがご近所にいるなんて心強いな、って、背中を押してもらいました。” *ともちゃん(37) *出身:千葉 *仕事:気仙沼地域戦略(観光マーケティング) “知り合いもいない中で気仙沼にきて、知り合いが増えてくる。ひとりつながりができて、まちのことをひとつすきになる。人を好きになって、まちを好きになる、の繰り返しで、このまちになんでもいいから私にできることがあれば力になりたいな、と思って、やれることをやるってかんじ。 ゼロの状態で入ったから、まちをすきになる前に、人をすきになったんだよね。ある意味、モチベーションは恩返しかな。 いまは、自分のスキルとかやりたいことは縮小していて、子どもと過ごす時間を確保する方に意識が向いています。お母さんになりたくて気仙沼に来たので、子どもが生まれてやりたかったことがひとつ始まった感じ。地域にも頼りつつ、保育園とか助けてもらえる場所があるから移住者夫婦の核家族でもやれてるな、と。はじめましての場所でも、住んじゃえばなんとかなるって、こんどはわたしが背中を押したいです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.31)
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vol.26【気仙沼移住女子】あゆちゃんの場合
〜あゆちゃんの場合〜 「移住女子 × 顔の見えるデザイン」 “大学4年生の夏、付き合っていた彼が気仙沼出身で、初めて気仙沼に遊びに来たのが「みなとまつり」の日で。おみこしかついだり、彼の家族に会ったりして、風通しがよくて、活気があるところだなぁってその日のうちに気仙沼のことが好きになったんです。内湾で漁船がたくさんいてキラキラしててきれいだなぁって見ながら彼と話してたんです。そしたら彼が「いま気仙沼はなにもないけどこれからまちが復興して、まちも商売もおもしろくなる。そういうときに気仙沼にはデザインの仕事が絶対必要だから、このまちでデザインの仕事をしてほしい。気仙沼を一緒に盛り上げていこう」って言ってくれたんです。 私は大学を卒業したらフリーランスでやっていきたかったし、相手の顔が見えない仕事ではなく、自分の仕事を喜んでくれる人の顔が見える環境が良かったんです。だから彼と話したその時に、気仙沼でデザインの仕事をして東北を盛り上げていきたいなって思ったんですよ。” *あゆちゃん(28) *出身地:山形 *仕事:グラフィックデザイナー “彼と結婚して、子どもが生まれて。子育てしながら十分な収入を得るってなかなか難しいんですよね。こっちきて3年目とかかなぁ、少しずつお仕事もらえるようになって。最初は自分の同級生がバリバリ働いてる姿が羨ましくて、フルでデザインの仕事をバリバリやりたいって焦りもあったけど、娘がある程度大きくなるまで自分の手できちんと育てたかったし、地方でフリーランスやるにはコツコツ地道にやるしかないなって。今は自分の納得のいく仕事を手の届く範囲でやっていこうと思ってます。デザインの仕事って信頼で成り立ってるし、実績も自分の力も地道に積み重ねるしかない。明日新しい仕事がくるわけでもないし、デザインの実力も急に上手くなったりもしないので、10年後にこうなってたい、とか自分の中で長い目標を立てて、ちょっとずつ小さい階段を上っているかんじです。 いまの気仙沼みたいに、まちがすごいスピードでできていってる段階ってそうそうないので、いちばん気仙沼が楽しくなっていく時期がいまから始まると思っていて、その時代に自分が生きてるって思うと、私はこれからもこのまちで仕事がしたいなぁって、ここでがんばろって思えるんです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.5)
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vol.25【気仙沼移住女子】しおりの場合
〜しおりの場合〜 「移住女子 × 近場二拠点ライフ」 “大学生のとき、最初は「なにかしなくちゃ!」って思ってきたけど「きてくれるだけで復興につながるんだよ」って言ってくれる地元の人たちに出会って、「あ、自分はここにいるだけでもいいんだな」って感覚になったし、人が歓迎してくれた。いろんな人と心でつながれた時間がたくさんあって、わたしってありのままでいいんだなって経験になって。それが大きいできごととして心に残ってたんですよね。でも卒業後は教員になるって決めてたからとりあえずなろうって。移住するって思考にはいかなかったんです。” *しおり(27) *出身地;神奈川 *仕事:教育コーディネーター(岩手県住田町) “神奈川の高校で教員になってみて、自分も社会のこと知らないのに、生徒に社会を教えることの難しさを感じました。このままだと10年後かっこいい教員になれてないな、もっと私自身が社会を知った方がいいなって思って。それで大学時代に通ってた気仙沼への移住を決めました。まず1年やってみてダメだったら帰ればいいし、楽しかったらいればいいなって思って。 いずれは高校の現場に戻りたいなって思いながら、まずは地域を知りたくて唐桑公民館で働いていました。そこでもやっぱり地域と学校がつながることの可能性を感じたから、その後、地元に帰って教員やるのはあんまりイメージわかなくて。そんな時に、岩手県住田町での教育コーディネーターの仕事を紹介してもらいました。 住む地域と働く地域は一緒の方が良いなぁって思うこともありました。でも今までは気仙沼と神奈川(地方と都市)の比較しかできなかったけど、今は気仙沼と住田(地方と地方)の比較ができるようになって、地域を見る視点が増えた感じがします。改めて気仙沼のいいところが見えたり、どっちも全然違って良いなって思ってます。 拠点は今後どうなっていくかわかんないけど、住田でやってることが気仙沼で活きたり、逆もあったりするから自分のやっていることはつながってるなって思えてます。今目の前の仕事に取り組んでいれば、そういうつながりが広がっていくんじゃないかなって。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.3.3)
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vol.24【気仙沼移住女子】さゆみの場合
〜さゆみの場合〜 「移住女子 × イラストレーター」 “出身は県内の松島町というところ。東京で雑誌の編集やゲームの製作などをしていました。気仙沼には大学の先輩がいて、震災が起きた後に連絡して、来てみたんです。ほかに誰も知り合いいなかったけど、そしたら気仙沼で「ほぼ日」の事務所ができることになって、気仙沼で知り合った方に「働いてみない?」って声をかけていただきました。迷いました。すごく迷いました。でも変わらない人生より変わる人生のほうがいいんじゃないか!と思って。ま、あんまり考えてないんだよね。笑 そのとき28だったんですけど、そのまま引っ越しして、転職して、その大学の先輩と結婚して。それが2012年。けど実際きたら友達いないし、すごい寒いし、すぐ暗くなるし、仕事18時に終わって。今までだったら23時まで仕事してたのに、すごいギャップがあって、夫に相談したら「俺も友達だよ」「ボールは友達だ」って言われて、サッカーボールを買わされて、暗い中、街灯の下で毎日リフティングしてました。笑 当時は全然若い人に出会えなかったし、東京戻って友達と会いたいって思ってたな〜。それから2〜3年して、同じ年代の年の人がUターンやIターンで増えてきて、同年代の友達が増えたことによって気仙沼がすごく楽しくなりました。” *さゆみ(36) *出身地:松島町 *仕事:ライター&イラストレーター “いまは観光の仕事をしています。取材いったり、原稿書いたり、web編集したり。 前の仕事で「沼のハナヨメ」っていう、気仙沼での自分の生活を元にしたエッセイ漫画を書かせてもらってたけど、それを地元の人が結構見てくれて、それで漫画の仕事も頼まれることもあります。わたし、漫画もゲームも好きだし、もともとオタクだから、自分のそういう部分を持っていたい。仕事もすきなので、生活のために仕事してるというよりも、たのしくてやってる、っていう仕事ができたらいいなって、それを大事にしてます。観光関連の仕事が終わったら、家に帰って息子と遊んで、ごはん食べて、息子を寝かせてから、イラストや漫画の仕事やるってかんじ。気持ち的にはイラストや漫画を描く仕事もこれから増やしていきたいと思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.25)
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vol.23【気仙沼移住女子】みっぽの場合
〜みっぽの場合〜 「移住女子 × いつでもどこでもわたしらしく」 “気仙沼にきたきっかけは、学生時代にハンセン病のボランティアをしていて、唐桑にハンセン病快復者がいることを知ったこと。その方が建てた施設の支援をつてに唐桑にきたのが、2011年3月の発災直後、大学生のときでした。 その後、大学を卒業するまではずっと通っていて、2015年に卒業と同時に移住。同じタイミングで移住した女子たちと唐桑でシェアハウスしながら、林業家を支援するNPOで働いています。” *みっぽ(29) *出身地:兵庫 *仕事:NPO職員 “去年の11月に地元の人と結婚しました。よく地元の人たちに「これで一生ここにいてくれるんだね」って言われるけど、それは笑って流してる。笑 だって、1年後すら自分がここにいるかどうかわからないし、ここにずっといるんだっていう覚悟をもって生活してしまうと。その言葉に責任をとることに重きを置いてしまって、自分がたのしいか、なにをしたいか、とか、自分に正直でいられなくなっちゃいそうだから。 自分の行動には責任をもちたいから、無責任なことをしたくない。だから「ずっといます」とは言えなくて。結婚してもそれは変わりなく、夫にも夫の家族にもその価値観は理解してもらっています。それが今のわたしの持続可能な生きかたです。“ ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.23)
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vol.19【気仙沼移住女子】ゆかりの場合
〜ゆかりの場合〜 「移住女子 × 自分をチェンジ!」 “大学生のときにリノベーションのプロジェクトのお手伝いで気仙沼に通ってたんですが、最後まで参画しきれず、やりきれなかった悔しさを抱きながら、就職して、2年半くらいはほとんど来てませんでした。でも就職した建築系の会社の仕事がすごくハードで、心身ともに疲れ切ってしまって。このままじゃまずい、環境変えたいな、自分ちょっと変えたいなって思ったんだけど、仙台に帰るイメージはつかなくて。地元以外でつながりがある地域が気仙沼で、ひさしぶりに気仙沼・唐桑に行ってみたんです。そして仕事を探してみよう、と移住センターに相談にいったら、スタッフの方がすごく親身になって相談にのってくれて。そこでいろんな人紹介してくれて、仕事は地域おこし協力隊が、そして家はシェアハウスが見つかりました。今までは仕事の悩みを言える人がいなくて、でも気仙沼ではこんなに親身に考えてくれる人がいるんだ、って。” *ゆかり(28) *出身地:仙台 *仕事:気仙沼地域戦略(観光マーケティング) "もともと人と話すことや、人前で話すのは得意じゃなかったんです。移住を決めるってときに自分を変えたい!と勇気を出して飛び込んだのがよかったかな。明るくなったし、いい意味ですごく変わったなって思います。明るいね、って言ってもらえるのがうれしくて、自分で自分をすきって思えることは今までなかったんだけど、気仙沼にいる自分をすきになれました。 人には本当に恵まれてるな、と思います。仕事だけじゃなくて「銭湯友の湯」を盛り上げるプロジェクトや移住女子の仲間「ペンターン女子」のみんながいるから保ててるんです。つらいこと、嫌なことがあっても、他のところがある、切り替えができる場所がたくさんあるから、バランスがとれてる。 自分を好きになれたこの気仙沼が好きで、ここに住み続けたいと思っているので、いま関わる仕事やプロジェクトをさらに夢中になって進めていきたいです。あのとき、飛び込んでよかったと思います。いま悩んでるひとには、「ちょっとの勇気でこんなに変わるよ、選択肢はいっぱいあるんだよ」ってこと、伝えたいです。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.28)
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vol.18【気仙沼移住女子】まきの場合
〜まきの場合〜 「移住女子 × コミュニティデザイン」 “高校生のときにまちづくりに関わることがおもしろいな、と思って、まちづくりのお手伝いをする勉強ができる山形の大学に進学しました。将来的には気仙沼に帰ってきたいと思いつつ、仕事のイメージがつかなくて。大学にいる間も気仙沼に貢献できたらいいな、とは思ってたけど、すぐに気仙沼に帰ってこれるとは思ってませんでした。30,40歳すぎかなーって。そんなとき、知り合いがSNSでシェアしてた「市民が主役のまちづくり」をテーマにした地域おこし協力隊の募集に魅力を感じて。その仕事内容と学んでたことの共通点があって、しかもそれが気仙沼で。大学4年生の4月から協力隊になりました。その1年間はほぼ気仙沼にいて、授業もゼミだけだったから、基本オンラインで参加して、月1で山形にいく、そんな日々でした。” *まき(25) *出身地:気仙沼・鹿折 *仕事:デザイナー(個人事業 荒屋デザイン・合同会社moyai・NPO法人wiz) “協力隊の仕事もデザインの仕事も、大学生だったり新卒で経験のない自分に新しい仕事任せてもらえたり、企業の人が声かけてくれたり、気仙沼ってすごいなって。若い人、経験浅い人にもいろんなことを任せてくれる。 IターンとUターンではまた違うかもしれないけど、どうしても仕事とかなにもわかんないから足踏みしてしまう。帰ってくる前に段取りできないかもしれないけど、とりあえず来たらなんとかなるよ!デザインはPCあればどこでもできる特殊な仕事だから一般論として言えないけど、まわりにもなんとかなってる人の事例がたくさんあるある。笑 そうやって地元に帰ってきてくれる人が増えたらいいな、と思っています。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.24)
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vol.15【気仙沼移住女子】けいこの場合
〜けいこの場合〜 「移住女子 × アクティブ公務員」 “気仙沼はもともと好きで、老後は帰ってきたいな、とは思っていました。 でも、そのときの気仙沼は「挑戦しながら働くまち」というイメージがなくて、まずは都会でチャレンジしてみようと大学進学と共に神奈川へ。 就職してしばらくしてから、気仙沼に帰省したら昔栄えていた近所の商店街がちっとも開いてなくて、老後までこのまちはあるのかなって思ったんです。そのあと震災が起きて、まちがなくなってしまって。すぐにでも帰りたいと思ったけど、給与が下がることへの不安や、手に職がない自分がなにができるのか…という迷いもあって動けずにいました。でも、何度か帰省するたびに、瓦礫も撤去されて、どこになにがあったか思い出せなくなって。自分になにかできるまで待ってたらダメになっちゃうんじゃないか、このまちのために働いて暮らすひとがひとりでも増えれば、と、帰ってくることを決めました。ネットで「気仙沼 求人」って調べたら、「東北未来創造イニシアティブ」の仕事が出てきて。「市長の参謀として働く」みたいな売り文句、うっかり見つけちゃったんですよねぇ〜。そのプロジェクトに応募して3年間働き、その後、市役所の社会人採用を受け、いまに至ります。” *けいこ(38) *出身地:気仙沼 *仕事:気仙沼市役所 産業戦略課 “いまは市役所で、経営者の支援をするような仕事をしています。 気仙沼にはおもしろい構想をもってる経営者がたくさんいるから、それを実現できるようになったらまちが元気になるなぁって。私は自分でお金を生み出す仕事をしたことがなくて、お金稼げる人への尊敬がある。このまちって本当に魅力的な経営者が多いんです。それ自体がまちの財産だなぁって。経営者に限らず、チャレンジしている人がいっぱいいるし、チャレンジを応援してくれる文化も育ってきてる。それは地元の人だけでなく、震災後の移住者たちがいてくれたからこそできた空気で。市役所で働いているわたしにも影響してるんです。市役所職員も、やろうと思ってがんばれば、いろいろなチャレンジができるし、おもしろい職場です。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.1.8)
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vol.13【気仙沼移住女子】めいの場合
〜めいの場合〜 「移住女子×きたら突然サバイバル」 “移住してきた人ってみんなキラキラしてるけど、わたしは結構ドロドロ系でした。笑 気仙沼にボランティアで何回か通ってるうちに、知り合いの団体から声かかって。魅力的だったし、方向転換したい時期だったから飛びついたんです。で、引っ越したらまさかの納屋暮らし!野良猫と一緒にトイレもお風呂もないところに真冬の2月に住み始めました。さらに、まさかの2ヶ月で突然その団体が解散!って。どうしよう〜〜〜!って家もないし。そんなサバイバルな移住の幕開けでした。笑 いつでも帰る選択肢はあったけど、どうせ帰るなら結果を残してからにしたくて、得意な「刺繍」でいろいろ挑戦させてもらって。そのうちに知り合いとか友達が増えて、気づいたら、結果とかにこだわらなくても、気仙沼にいたいと思うようになって。「住めば都だよ」ってある人に言われた言葉が迷った時のいつもお守りだった。迷いがあってもどんどん馴染んでいくよってことなのかなって。” *めい(31) *出身地:千葉 *仕事:絶賛子育て中! “いつか自分の子どもがなにかに悩んだとき、わたしはいろんな人生を歩んでるひとに気仙沼で出会えたから、自分の人生軸だけじゃなくて、いろんなことを伝えられる。いろんな道を選んでる人を紹介できるし、それだったらあの●●おじちゃんに聞いてみなよ〜とか。それを考えただけですごく楽しみ。それは千葉にいただけじゃ得られなかったなって。 これまで本当にいろんなことがあったけど、今の幸せは、あのサバイバルな日々があったからこそだと思います。本当に全てに感謝です。人生、最高!!♡” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.12.31)
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vol.16【気仙沼移住女子】えりの場合
〜えりの場合〜 「移住女子 × 副業スキル」 “大学卒業して、最初は隣町(岩手県)で暮らしながら働いてました。2015年の秋頃、よく遊びに来てた気仙沼に住所移して住み始めて、気仙沼から岩手の会社に通ってました。そのときに気仙沼市でやってる地域の若者向けイベントで地元経営者の話を聞く「ぬま塾」によく参加してて、若者が集まってるのいいな、って。あと気仙沼は上の世代の経営者の人や若い人たちがつながる場があって、起業する、とか、地域のために新しくなにかする、がしやすい空気でした。 4年前に結婚して、会社を辞めて、起業の準備を始めました。パンづくりの勉強したくて、南三陸のパン工房で働いて。自分でパンつくってイベントで販売したりしながら、他にも子供古着のシェアサービス「みんなのタンス」を立ち上げました。” *えり(29) *出身地:岩手 *仕事:子供古着のシェアサービス「みんなのたんす」代表、コミュニティFMラジオパーソナリティ、ケーブルテレビ市民アナウンサー “もともと一次産業やエネルギー問題、地産地消、食料供給源に関心があって、地域にあるものだけで生活していく、小規模分散型の社会だったら、なにがあっても安心して生きていけるんじゃないかと思っていて。たとえば、減反で収益あがらない米農家さんが小麦に転作すればその農地でやっていける、じゃあパン屋になったら小麦いっぱい使えるなとかって。 わたしは才能あるわけじゃないし、超頭がいいとかじゃないから、総理大臣になるとか大企業の社長になるとかはできないと思うけど、地球のため、子どものため、人類の未来のために、ちょっとでも自分の生き方、やれることで、いい影響をあたえられる人生になったらいいな、と。生活面の不安があるからこそ、いろんな収入源をもって、マネタイズする部分と、自分が本当にやりたい仕事をやる部分とを考えながら、生きていけたら安心かな。いま、プログラミングの勉強してるんだけど、やってて苦しくないことは全部仕事にできる程度のスキルにしていきたい。学ぶきもちをずっと持ってればこれから社会がかわっても仕事を得られるかな、って、そういう姿勢で生きてます。ゼロだから、わたし。笑” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.1.9)