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【記事】気仙沼へのUターンを考え始めたあなたへ
Uターンする理由 そもそも地元に帰る選択をした人たちはどんな理由で帰ってきているのでしょうか? 参考にみてみましょう! 例えば… ・家業を継ぐため ・家族との時間を大切にしたい・近くにいたい ・子どもに自然豊かな環境で育ってほしい ・自分のスキルや経験を活かして地元に貢献したい ・コロナ禍を経て自分のライフスタイルについて立ち止まって考えた先に、気仙沼で暮らすのが良いと思った ・シンプルに、気仙沼が好きだから気仙沼にいたい! などなど。ここに挙げたものはあくまで一例で、帰りたい理由は本当に一人ひとりそれぞれです。 「今がそのタイミングかも」と感じたら、まずは情報収集から始めてみるのをおすすめします! Uターンした方のインタビュー記事を読んでみると、イメージがつくかも。 【インタビュー記事】「いつか気仙沼に帰りたい」3年悩んでUターンを決めたゆうすけさんの生き方 記事を読む… 進学と就職のために一度は気仙沼を離れたけど、13年の月日を経て、地元気仙沼に帰ってきて暮らすことを選んだゆうすけさん。「自分の好きなことをやる」ということを大切にしていて、お休みの日はキャンプや釣り、登山に行き、畑で野菜を育てたり、漁師の親戚のお手伝いをしたり、友だちを誘って星空を見たり……。気仙沼の自然をフルに満喫しています。そんなゆうすけさんのUターンのきっかけや帰るまでにどんな葛藤があったか、リアルにお話ししてくれました。 Uターンしようと思ったらどうすればいい? いざUターンすることを考えた時に、何からはじめたら良いの?と思う方もいるのではないでしょうか。 ここではUターンするまでのおおまかな流れをご紹介します! 【準備期間】 理想的には半年〜1年の準備期間を設けると安心して進めることができます。 【Uターンまでの流れ】 1.情報収集・MINATOに相談 MINATOのWebサイトやSNSをはじめ、気仙沼の暮らしに関する情報を集めましょう! すでにUターンしている同級生や仲のいい先輩・後輩に相談してみると、よりリアルな情報が得られるかも! まずはMINATOで今考えていることを話してみませんか?迷っている方も、気持ちの整理からしてみるのももちろん大歓迎です! あなたが送りたいライフスタイルを一緒に見つけられたらと思います。(無理強いすることはないので、ご安心を!) 一緒に帰省した時に寄っていただくのはもちろん、オンラインでの相談も可能です◎ 2.仕事と住まいの確保 Uターンを決めたら、まずはどんな仕事をするのか考えましょう。こちらもMINATOでサポートします! 今の仕事を続けたい場合は、リモートワークが可能かどうか会社と相談してみても良いかもしれません。 仕事が決まったら、次は住まい。実家に住むのか、または賃貸のアパートや空き家バンクに掲載している物件で一人暮らしをするのか、 はたまたシェアハウスに暮らすのかなどなど、検討してみましょう! 3.移住 いよいよ気仙沼での暮らしがスタート! 気仙沼では定期的にイベントが開催されているので、積極的に参加してみるとつながりが広がるのでオススメです。 困ったり悩んだ時は、いつでもMINATOに相談してくださいね。 気仙沼市の支援制度 ⚫︎ 移住支援金 東京圏からのUIターン者に最大100万円! https://www.pref.miyagi.jp/site/tiikisinnkou/iju-sienkin.html 東京圏から気仙沼市へ移住する大学生を応援します! https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/16707/ ⚫︎仕事に関する支援 【記事】仕事に関する支援制度について https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/11738/ ⚫︎ 住まいに関する支援 気仙沼市空き家改修支援事業補助金 https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/17797/ 空き家の取得費用を支援します https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/17799/ ⚫︎ 子育て世帯向けの支援 【Web】気仙沼の子育て・教育 https://www.minato-kesennuma.com/kosodate/ 気仙沼とのベストな距離感 Uターンの他にも、離れていても気仙沼とつながる方法はたくさんあります! 年に数回地元に帰省したり、ふるさと納税で気仙沼のおいしいものを食べたり、 気仙沼のイベントの運営をお手伝いをしたり、二拠点で暮らしたり。 今のあなたにとってベストな距離感で、気仙沼とのつながりを持ち続けてもらえたらうれしいです! それを探すお手伝いができたら幸いです。 参考に、登場に暮らしながら気仙沼のプロジェクトに関わり続けるゆきちゃんの記事と 気仙沼との心地よい距離感を探すエッセイ【海と暮らせば-望郷編-】を紹介します。 【記事】地元出身で気仙沼に関わるゆきちゃんのインタビュー コラム#4-5 気仙沼から伝えられることって、何だろう。 https://www.minato-kesennuma.com/kurasu/16565/ コラム#4-6 https://www.minato-kesennuma.com/kurasu/16566/ コラム#4-7 https://www.minato-kesennuma.com/kurasu/16567/ 【エッセイ集】海と暮らせば-望郷編- 気仙沼との心地よい距離感を探す、全9編のエッセイ集です。 https://www.minato-kesennuma.com/kurasu/17681/ 最後に まずは一度、気仙沼市移住・定住支援センターMINATOに相談してみませんか?あなたの「帰りたい」という気持ちを具体的な一歩に変えるお手伝いができたら幸いです。
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コラム #7 親子で地方に移住するってどんな感じ?
今回親子おためし移住を体験したSさんファミリーは、首都圏の4人家族。としきさん、みきさんと3歳の息子さん、0歳の娘さん。としきさんは人材総合サービス会社に勤務し、週1は出社、それ以外はテレワーク。みきさんは現在育休中で、長期間滞在できるこのタイミングで、10月半ば〜11月初めの2週間、気仙沼に滞在しました。 ー親子おためし移住を利用したきっかけは? (としきさん)家族が増えてこれから住む場所を考え始めていた時に、気仙沼親子おためし移住を体験した友人にこのプログラムを教えてもらったことがきっかけです。ほかの地方移住体験もしていたのですが、気仙沼は学生時代に何度も足を運んだ好きな場所なので、縁を感じました。 ー気仙沼に来る前に不安はありましたか? (としきさん)行くのをとても楽しみにしていたので、あんまりなかったですね。あるとしたら、住んでいるところから距離があるので移動手段について家族で相談しました。車で行くか、新幹線で行ってレンタカーを借りるか悩んだのですが、0歳の娘は長時間車に乗っていられないので、結局は僕が自家用車で、妻と子どもたちは新幹線で二手に分かれて移動することにしました。 ー気仙沼での滞在ではどんなことをしましたか? (としきさん)たくさんの地域の方に出会いましたね。MINATO(気仙沼市移住・定住支援センター)のスタッフの方に移住者の人たちを紹介してもらったり、その人たちと一緒にランチしたり、バーベキューにも誘ってもらったり。それから、大学生の時に震災ボランティアで気仙沼に来た時に知り合った人と久しぶりに再会したりして。本当にたくさんの人に会えました。あとは、唐桑地区にある戸建ての住宅で暮らしていたんですが、近所のおばあちゃんからカツオをいただいたり、新鮮なお魚や野菜をいただいたり。気仙沼の食もたくさん楽しみました。 伝承館(気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 @kesennuma_memorial )にも行かせてもらいました。息子は津波のことを詳しく知らなかったんですけど、小さいながらいろんなことを感じていました。親としても、このまちで起きたことを学べたのは大きかったなと思います。 (みきさん)こうしてご縁をいただいたからには、ちゃんと知っておきたいなと思っていたので、行くことができて良かったです。 Photo by Momoko Shida ー気仙沼で保育所に息子さんを預けてみて、どうでしたか? (みきさん)海が見える保育所で、景色がよくて庭も広くてとても素敵な場所でした。先生たちが本当に優しくて、穏やかな気持ちで送り迎えをしていました。もう、行くだけで気持ちが洗われるような感じで。唐桑保育所は「中遊びと外遊び、好きな方を選んでいいよ」っていうスタンスでした。子どもを主体とした遊びをさせてもらえているんだなと思って、とても有り難かったです。 ー息子さんの反応はどうでしたか? 本当に楽しく通っていました。朝送る時も「早く帰っていいよ」って言われるほど(笑)一日も休まず通うことが出来ました。 ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (としきさん)息子が家族以外の大人に遊んでもらっていたり、気仙沼の子たちと一緒に遊んでいる風景がすごく印象に残っています。 ぼんやりとですが「こうありたいな」という子育てのイメージがあって。自分たちだけで子育てをするのではなく、いろんな人と触れ合ったり、その中で新しい気づきがあったり「みんなで子育てし合う」ようなことができたらいいなと思っていたんです。 もちろん都会にいても実現できることだと思うんですが、気仙沼はとにかく人との垣根が低いんですよね。子どもたち同士で遊んだり、一緒にご飯をつくって子どもたちと食べたり、一緒にお風呂に入れたり。それから、子どもたちで遊んでいる時に注意しなきゃいけない時「おもちゃを取っちゃ駄目だよ」と注意をしてくれたり。自分たちだけじゃなく、みんなでみんなの子を大事に育てる感じ。家族同士が隔たりなく交流して子育てできるような環境を気仙沼で2週間体験できたのはとても良かったですね。 Photo by Yui Sugawara Photo by Kohei Shikama ー気仙沼で一番思い出に残ったことは? (みきさん)お母さんたちが、「自分たちでまちを良くしよう」と活動している姿がすごく印象的でした。 民間で運営している親子の居場所「わくわくけせんぬま ( @wakuwaku.kesennuma )」に行ったのですが、温かい飲み物が置いてあったり、「いつでも持って行っていいよ」と洋服のお下がりコーナーがあったり。痒いところまで手が届くような素敵な取り組みをされていて、印象的でしたね。 あとは、一時預かり専門託児所の「Omusubi( @omusubi_kesennuma )」 は生後2ヶ月の赤ちゃんから一時預かりができて、しかもそれが無料。(※1)それを活用してお母さんたちが仕事や学びの時間に充てている姿を目の当たりにして、「いつでも無料で子どもを預かってくれるってなんてありがたいの!」って思いました。これはもう、全国のお母さんたちにアピールしたいですね。うらやましいですし、なかなかほかにもないんじゃないかなって思います。 ー不便だったり、大変だったこともお聞きしたいです。 (としきさん)移動手段が車1本に絞られてしまうので、都会と比べるとどうしてもそこは気になるポイントでした。運転に慣れていないと大変だなと思うことがあるかもしれません。 (みきさん)あと、地元の方に「病院事情を知っといた方がいいよ」と聞いて。2週間の間に子どもが少し体調を崩して病院に行くタイミングがあったのですが、混んでいましたね。私たちは1時間ぐらいで通してもらえたのでそこまでではなかったんですけど、「数時間待つこともある」と聞いたのはちょっとびっくりしました。そこは心構えがあると良いかもしれません。 ※1…※気仙沼市に住む第2子以降(0~2歳)は自己負担なしで託児が利用可能。(条件あり) ー今回気仙沼に滞在してみて、変化した考え方はありましたか。 (としきさん)来る前は正直、「地域の人とたくさん関わって、また来れる場所になったらいいな」くらいの感覚でした。滞在してみたら「ここに住むのもいいかもな」って思うようになりました。買い物とか土日の過ごし方とかを実際にやってみて、移住後の生活がリアルにイメージできました。 あと、災害のリスクについてはちゃんと知りたいなと思っていたんです。もともとは、なるべくリスクの少ないエリアに住もうという考え方でした。ただ、気仙沼に来てからは、リスクを避けるだけでなく、、向き合う方も大切だと感じました。今や「ここにいたら絶対に災害は起きない」という場所ってあまりないと思うし、「ここなら大丈夫」と高をくくっていると、いざという時に知識がなく身を守れない。「過去を学び有事に備える」という視点は大事だなと思うようになりました。 ー気仙沼親子おためし移住に興味を持ってきてくださる方に、ひとことお願いします。 (みきさん)私は子育て支援が充実しているのを実感したので、これから来る方には子育て支援施設に子どもを預けて自分の時間をとって、地域のお母さんたちと触れ合う時間をつくるのをおすすめします! (としきさん)気仙沼の方は、心が開いている感じがするんですよね。人を受け入れる器が大きいというか。オープンなので行く人も変に壁を作らずに、オープンにした方が良い出会いがあると思います。やって良かったのは、「お試し移住で来ました」と積極的に伝えること。会話が広がるきっかけになりますし、地域の人たちがいろんなことをお話ししてくれてこのまちの良さをより知ることができるんじゃないかなと思うので、ぜひこの言葉を使ってほしいです。 それから、地元の方も移住した方も、このまちをより良くできないかと一人ひとりが考えているので、いろんな活動が生まれています。自分のやりたいことに向き合って挑戦している人たちがたくさんいるので、それをぜひ現地で実感してほしいですね。 親子で地方に移住する。 それは家族のことや子どもたちのことをたくさん考えた先で「こうしたら自分たちが豊かだと思える生き方に近づけるんじゃないか」と思った時の、行動の選択肢の一つなのだと思う。 ためしにいつもと違うまちで暮らしてみたら、暮らしをより豊かにするきっかけが見つかるかもしれない。 *** 親子おためし移住のことをもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください! https://turns.jp/107112 お申し込みについてはこちら https://www.minato-kesennuma.com/kesennuma/16480/
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コラム#旅人編1-6 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている このまちでは、広い海が私たちの心を大きくさせ、行き来する船が私たちの夢を大きくさせるのかも。 海を、港を、眺めているとそうやって思った。 どこまでも続く海を見ていると、狭い心でものごとを考えていても仕方ないと思う。 大きな船に乗り込んで海に出ていく人を見ると、夢は大きくていいと思う。 私たちは“ちっぽけ”なんかじゃないよ、と言われているような気がした。 気仙沼を歩いてみたら沢山の発見があった。祈りが根付いていて、たくさんの人や物が海を介して行き来している。 この海で、世界とつながっている。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-5 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 内湾のシンボルスポットだという「神明崎(しんめいざき)」に足をのばす。 きらきらと光る海面に見とれていたら、福がある顔をした恵比寿さまに出会う。 いつも座っている恵比寿さまが海に向かって勇ましく立ち上がっている!全国でも珍しい「立ち恵比寿」なのだというから驚いた。 —- 大漁と航海安全は気仙沼市民の絶えざる祈りである どこかに記してあったこの言葉が思い出される。 そういえば、安波山の名前の由来も、海のそばにある神社さんも「大漁祈願・航海安全」を祈ってのことらしい。 まちのいたるところで見かける鮮やかな大漁旗も、夏の一大イベントであるみなとまつりも。 何をするにも、今日も明日も、大漁祈願・航海安全。 そんな絶えざる祈りが、恵比寿さまを立ち上がらせちゃっているのかもしれない。 今日はひとりの旅人として、ここ気仙沼から世界の海へ大漁祈願と航海安全を祈らせていただきます。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-4 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 世界とつながっている、と感じられる場所は気仙沼にたくさんあるけれど、魚市場のすぐ裏にある「みしおね横丁」にある「ワルーンマハール」もそういう場所のひとつだ。 お店のすぐ向かいには、ムスリムの彼らが礼拝をするための小さなモスクもあるみたい。 いま、気仙沼船籍の船には多くのインドネシア船員がいるという。そんな彼らの写真がぎゅうぎゅうに貼られたボードから、この場所に刻まれてきた思い出を想う。 異国で暮らしていて、大変なことはなかったかな?漁師として成長できた? いまはもう海の先のインドネシアに帰っていった人もいるのかな、元気にしているかな。 およそ5000kmも離れている海のその先へ、思わず語りかけたくなるようなランチタイムだった。 「ミーゴレン」は日本でいう焼きそばみたいな感じで美味しかったな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-3 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼港を歩いてみると、白い船たちが並んでいる景色がとても眩しい。風の強い日が続いていたので、大きな船もたくさん停泊していた。 船の中にも漁師さんらしき人がいて、次の出港に備えていろいろ準備しているみたい。 車もよく行き来していて、運転席から顔を出してちょっとした会話に花も咲く様子。 そういえば、どの船にも渡し橋がある。こんなに細い、はしごみたいな道から広い広い海に出ていくんだな〜と、驚きつつ途方に暮れた。 この橋が、陸(おか)と海をつなぐ道。ここから世界の海へ。ここを歩く漁師さんたちの背中を想像して、少し見上げるように写真を撮る。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-2 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている 気仙沼湾を一望できると聞いて、安波山に登る。よく晴れた日で本当に気持ちがいい。 駐車場から遊歩道へ向かうと、貝殻やビー玉で飾られたエリアがある。タイルで作った文字が「1990年」と言ってるってことは、これ1990年に作られたってこと?と予想する。 そのなかの一つに「オーストラリア△」という方角を示すものが残っていた。このまま海をすすんでいけば、オーストラリアまで行けちゃうなんて。急にスケール感が大きい。 日焼けしてしまって、何が書いてあったかもわからなくなった謎の円盤もある。 この謎の円盤には何が記されていたんだろう。「オーストラリア」が残っているなら「アメリカ」かな「ハワイ」かな。「パリ」や「ローマ」かもしれない。 さっきの円盤に何が書いてあったか知っている人、この世界のどこかにいるかな。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#旅人編1-1 この海で世界とつながっている
この海で世界とつながっている ── 世界はこの海でつながっている。 誰もが知っている変わらない事実から、無限の想像が広がる。 目の前に見えている世界だけがこの世界ではなく、この海の先にも知らない誰かの暮らしがある。遠く離れた海で船上の誰かがこちらを想っている。向こうからこちらを眺めている人がいるはずなのだ。 今日は潮風に身を任せて、気仙沼の海の先を想像してみたり、港を歩いてみたり。 今回は旅人編。 海が好きで三陸沿岸や港町によくいる旅人、さみが 潮風に身を任せて、気仙沼を歩いてみて見つけたことを紹介します。 photo&text asami iizuka ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-12 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 気仙沼はこの13年で、 まちも、人も、ものすごく変化してきた。 東日本大震災をきっかけに 移住したり、関わりを持ったりした人がたくさんいて、 そのご縁は今でもずっと続いている。 だから、絶対まちは良くなる。 そこから生まれるものだって、たくさんある。 大丈夫だ。 無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、 気仙沼からだから届く言葉だと思う。 大丈夫。 明るい方に、歩いていこう。 photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-11 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 あの日から13年目を迎えて、かずえさんはどんなことを思っているのだろうか。 「まずは、生きててよかったなって。本当に、生きててもらってありがとうって。こうやって13年目を迎えられて、ありがたかったな、幸せだなって。このまちにいる人たちとか、まちから出て行った人も、どこにいる人も、みんなとにかく生きててよかった。 もう二度と、人の命が失われるような、こんな目には合いたくない、二度とね。けど、この13年間、悪いことばかりではなかったなと。”おかげ”って言うのは違うと思うけど、震災があった”から”、出会えた人とか、起きたことが、ずいぶんあるなって。それがありがたかったなって思います 気仙沼は、もちろんできてないこともあるけれども、変われたところもある。だいぶ変われたという自負があるから、また変わろうっていう心映えがある。『もっと変われるかもしれない』って思えたことは、一番良かったことじゃないでしょうか」 気仙沼から、能登の人たちに伝えられることってなんでしょうか、と改めてかずえさんに聞いた。 「気仙沼も、震災以前は閉塞感でいっぱいだったんです。『変わらざるをえない』っていうことが、必ずいいエネルギーに変わるんだと思うの。全国からたくさんの方が手を繋ぎましょうって言ってくると思うし、その人たちと一緒に何かをすることで、これまでしがらみで動けないと思っていたことが、大きく動くきっかけになる。 生きている人たちは、いろんなことを負い目に思ってると思うけど、明るいものを見てほしい!明るいことをじゃんじゃん見て、そっちに向かったら、きっといいことがあるんですよ。能登の人も、もっとよく変わる。それは必ずそうだと思います」 「必ず」というかずえさんの言葉は、「大丈夫だから!」と背中をたたいてくれてるような感じがした。 (4/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-10 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 かずえさんは、市内の女性が集まってまちを元気にする「気仙沼つばき会」の活動も行っている。 つばき会は今年2月、気仙沼の2040年をみんなで考える「みらいワークショップ」を開催した。気仙沼出身の高校生や大学生、地元企業の代表など、年代も肩書きも多様な人たちが集まって、「こんな気仙沼はいやだ」「こんな気仙沼がいい」をあれこれ話し合った。その時かずえさんは、こんなことを思ったという。 「若い人たちが、いろんなことを考えて動き出しているの。沼コス(高校生が企画・開催したコスプレイベント)っていうのもやってたでしょ。びっくりするよね。素晴らしいなって思うの。そういう人たちが育ってるんだっていうことが、頼もしいなって。 私の歳になると、長く生きてしまってるからいろんなことを考えてしまうんだけど、それは辞めたほうがいいんじゃないかって思う。まちも、国も、今から前例のないフェーズに入っていくから、『自分たちが持ってる知見なんてそんなに役に立たない』ってことを、まずは自分が肝に銘じようと思ってる。若い人たちにのびのびやってもらえるように、全力で応援できるような体制を取りたいなって思っています。 人口減少だとか、問題は山ほどあるけど、やろうとしていることを、まず全力でやったらいいんじゃないかって。やってみて失敗するのを繰り返すうちに、いろんなことができていくんじゃないかなって思うので。そのほうが良くなるんじゃないかな。とにかく、やってみないとわかんないでば!」 (3/4) photo by fumika sato ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから
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コラム#4-9 気仙沼から伝えられることって、何だろう。
気仙沼から伝えられることって、何だろう。 同じ市内でも、被災状況は人それぞれ。 だからこそ、お互いに気を遣う空気感があった。 かずえさんに、当時のことを聞いた。 「(津波で)家が流されなかったところもあるでしょう。だから、(家を流された)私に合わせようとするの。お通夜さ行った時みたいな感じ。海の近くに会社や工場があったから、全部流されているんだろうなってことは、みんなわかるじゃないですか。私に寄り添って、みんなそういうトーンで話してくれる。 それがね、本当に大変になってきたの。合わせてもらっているトーンに合わせるのが。それに合わせると、メンタルがやられそうな感じがしたので。 だから、もっと自分のフラットなトーンでいいやって思い始めて。しょうがない、大丈夫、大丈夫!って。『何か私にあげてもいいものあったら、もらうからちょうだい!』って自分から言うくらいに。そういう感じに変わったっけ、楽になってきた。 あんまりさ、家がなくなった人たちに悪いって思わないでいいよって思ってる。それで、自分をもっと楽にさせたほうがいいなって思うようになった」 そう思う一方で、それは従業員や家族が助かったからそう言えるのだと思う、とかずえさんは言う。 「何もいらないから、人命だけ助かれば、あとはなんとかなるからって、本当にそう思ってる。今も、こうして生きているし、当たり前の暮らしができるようになったし。だから、生きていたら、なんとかなるんですよ」 (2/4) photo by kohei shikama ほかにも気仙沼の暮らしに関するコンテンツ発信中! Instagram「海と暮らせば」はこちらから