「横浜」に
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vol.20【気仙沼移住女子】ふうがの場合
〜ふうがの場合〜 「移住女子 × 漁師」 “もともと横浜の海に近い地域に住んでて、海の上で働けたらいいなぁって漠然と思ってたんです。そして大学生のときに訪れた岩手で、初めて漁師という存在に出会い、私もあの人たちのようになりたい、やっぱり海で働きたい、という気持ちが強くなり、企業就職せずに漁師になれる道を探そう、と決めました。でも仕事として漁師になるってどうしたらいいかわからず、まずは地域おこし協力隊として2018年から岩手に住み始めました。最初の2年間は岩手でライターの仕事をしながら、休みの日に漁師さんのところに行って手伝わせてもらったりして。その中でいま働いている気仙沼の定置網と出会いました。ここなら働いていけそうだと思ったし、一緒に働いてみたいな、と思う人たちだったんです。” *ふうが(25) *出身地:神奈川 *仕事:漁師・ライター “移住する前に何回も通って手伝ってたから、思ってたのとちがった!みたいなのはなくて。ただ、独特なリズムで生活してるから飲み会に行けなかったり、会いたいときに会いたいひとに会えないとかはあります。休みの日は今もお手伝いしているライターの仕事をしたり、温泉いったり。 自然の中で仕事ができるっていうのがすごく気持ちがいいんです。自分がいきいきしていられる場所ではたらけるのはハッピーだし、健康的なかんじがする。夜中の2時半とかに起きるけど、時計のリズムが違うだけで、早く寝ればいいだけだし。笑 体力的にはきついけど、1年目は修行みたいなかんじ。とにかくなにを言われても「やります!」ってやってきて、振り返ってみたら楽しかったなぁって。環境は本当に恵まれてると思います。” ●Instagramはこちら (掲載日/2020.2.1)
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vol.14【気仙沼移住女子】しょうこの場合
〜しょうこの場合〜 「移住女子 × 心にゆとりのある子育て」 “高校卒業とともに都会へ。結婚して、横浜に住んでたんだけど、出産を機に地元帰りたいな、って思って。だって自分が生まれ育った環境だったらタダでできることを、横浜で通わせてた保育園ではお金を払って参加させてたんです。やっぱり気仙沼で子育てしたいな、って旦那をしばらく説得して、15年ぶりに家族と一緒に地元に戻ってきました。 こっちでは幼稚園も小学校も海洋教育に力入れてて、自分のふるさとを好きになれるようにって。お友達の家も海の仕事してる人とかも多いし、親戚も遠洋漁業の乗組員さんがいたりして、自然と魚とか海のものに触れられる機会が増えて、子どもたちにとってもいい経験になってるなって。” *しょうこ(35) *出身地:気仙沼・唐桑 *仕事:2児の母・ピースジャム(ベビーモスリンの縫製とエアマスクの製造) “月に1〜2回子どもたちを自然の中で遊ばせる「森のおさんぼ会」っていうサークルの活動があって。最初、「海でおさんぽ会やるから来ない?」って誘われたとき、親1人で子ども2人を海に連れていくのは怖い!って言ったら「その言葉を待ってました!みんなでみるから大丈夫!」って。笑 いざ行ってみたら、自分ちの子をそれぞれ見るんじゃなくて、みんなでみんなの子を見る、みたいな。自分もリフレッシュできたし、自分の子がこういう顔して遊ぶんだっていうのも初めて見ることができて。都会はお母さんなんだからこうしなきゃいけないとか、人に迷惑かけちゃいけない、とかあったけど、子育てする上で頼れる存在が自分と旦那以外にもあるんだって気づきました。 金銭的には都会より厳しいけど、自分に心の余裕があることによって、子どもたちにゆとりをもって笑顔で接することができる。子育てを一緒にやっていく戦友ってかんじで、かなり大きい存在です。” ●Instagramはこちら (掲載日/2021.1.4)
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【UIターンインタビュー】移住当初は後悔ばかりでした(笑)。
オヤツ食べたい的「ゲストハウスやりたい」。 それまで住んでいた横浜から気仙沼へと移住したのは、2015年の12月のことでした。24歳の頃です。いまもオーナーをやらせていただいている『ゲストハウス架け橋』が移住の決め手ではあったと思うんですけど、振り返ると浅はかでした。当時、前職を辞めて自転車で日本一周をしようと思いまして、たまたま寄った気仙沼で「ゲストハウスやりたい」と仲間内で言っていたんですね。でも、楽しいところしか見ていなかったというか、なんの覚悟もなかった。「おなかすいた。オヤツ食べたい」と同じレベルでの「ゲストハウスやりたい」で(笑)。 もちろん、学生の頃から、ひとり旅をすると必ずゲストハウスに泊まるぐらい好きではありました。岡山の『有鄰庵』さん、北海道の『waya』さん、ゲストハウスというよりはユースホステルですけど礼文島の『桃岩荘』さんなど、好きな宿もいっぱいあります。 じゃあなぜ、私がゲストハウスを好きかというと、あの場所には、本当にいろいろな生き方をしている人がいて、世間の正しいが必ずしも正しいわけじゃないんだなぁと感じたからなんです。大手企業に勤めている人もいれば、フリーランスで仕事をしている人もいたし、無職だけどずっと楽しそうな人もいた。楽しそうかどうかにキャリアなんて関係ありませんでした。 ところが私は……私の前職は看護師なんですけど……あの道は、学校に入学すると9割5分ぐらいは必ず看護師になるんです。就職活動もほぼない。しかも私は、小学6年生の頃からなんの疑いも持たずに看護師になるものだと決めていた。簡単に言うと視野が狭かったのだと思います。ところが、旅先でゲストハウスに行くといろいろな人がいて、様々な価値観があって、それが魅力的でした。 だから、前職をやめる時にもあまり悩まずにすんだのだと思います。 看護師の仕事そのものは楽しかったんですけど、シフトが出る、遊びや飲み会の予定を入れるという暮らしで。ある夜、飲み会終わりに終電に乗っていて、明日は仕事かぁ、こういう生活が30歳まで続くのかぁと想像したら急に嫌になっちゃったんですよ。その時にふと思い出したんです。そういえばゲストハウスにはいろいろな人が集まっていて、みんな楽しそうだったなぁ。まぁ、生きてくぶんにはなんとかなるでしょって(笑)。 <私はここですることがあるな>という予感。 移住を真剣に考えてらっしゃる方には、本当に申し訳ないんですけど、そもそ も私には住む場所へのこだわりが薄いのだと思います。旅と移住がほとんどイコールというか。それに、勢いで行動してしまうタイプでもありまして。気仙 沼へとつながる自転車での日本一周を決めた時もそう。 <仕事辞めよう、なに しよう、旅しよう>でしたから(笑)。 日本一周目指して自転車の旅に出た村松さん 自転車での日本一周は、仕事を辞めて、東京の友達の家に1ヶ月お世話になって、そこから北上していきました。 栃木通って、福島通って、気仙沼を通ってしばらくいて。そこからちょっと飛ばして青森に行って、北海道入ってぐるっとして、そこから1回気仙沼に帰ってきて。本当はそこから日本海側を南下していく予定だったんですけど、変更して岡山まで電車で行って、さきほどの岡山の『有鄰庵』さんで1ヶ月ぐらいヘルパーして、気仙沼に帰ってきました。 そうなんです。気仙沼には「帰ってきた」という感覚がありました。 先ほどのオヤツ食べたいぐらいの浅はかな「ゲストハウスやりたい」を聞いてくれた仲間とは、日本一周を始めた1ヶ月後ぐらいの、はじめての気仙沼で出会っているんですね。当時は、震災4年後ぐらいでしたから、業者さんも多くてホテルはどこもいっぱい。自転車旅に詳しい友人から、野宿はおすすめできないと紹介してもらったのが『ゲストハウス架け橋』でした。いまと名前は同じですけど、その頃はボランティアの方が主に宿泊されていました。旅を続けるなかで、気に入った街だと2週間ぐらい滞在したりもしたんですけど、なんなんですかね。なんで、気仙沼だったのか。 それはたぶん、『ゲストハウス架け橋』が魅力的だったというのではなくて、<あ、私はここですることがあるな>と感じたからだと思います。 それで、岡山から戻ってきたら、ボランティアの利用客の方が減ってきていて、これからどうしようという時期で。そのタイミングと私の「ゲストハウスやりたい」が、なぜかピタリとハマって現在に至るという感じです。 水出ない、トイレ流れない、めっちゃ寒い! そんな経緯で移住したのが、2015年の12月だったんですけど、正直言って、後悔ばかりでした。 何度も「横浜に帰りたい」と思いました。<なんでこんなに辛いの?><全然楽しくない!><やりたかったことと違う!>って。いえ、そもそも「ゲストハウスやりたい」が浅はかですから自業自得なんですけど、その頃は本当に逃げ出したくて仕方ありませんでした。 ひとり旅って、関わっているのが自分だけだから逃げ出せますよね?でも、『ゲストハウス架け橋』には関わってくれた仲間がいるし、クラウドファンディングもスタートするしで、私の勝手な言い分ですけど、まわりを固められた感がものすごくあって、逃げ出せませんでした。 でも、逃げ出せなかったから気づけたのが気仙沼の魅力でした。 感覚として、横浜にいた時は生かされていたと思うんです。24時間コンビニはあいてるし、テレビはいつでもつくし、水道の蛇口はひねれば水が出る。しかも私は、お父さんとお母さんに大切に育ててもらってきて、お金にも苦労せず、横浜でも新築の部屋にしか住んだことがなかった。自分で言いますね。育ちが良かった(笑)。 ところが気仙沼では、電気がつかないんです。ブレーカーを上げれば済む話なんですけど、育ちのいい私は、そのブレーカーを知らないっていう(笑)。ブレーカーだけならまだしも、水は出ないし、トイレも流れないし、めっちゃ寒いし。 そうなってはじめて頭を使うんですよね。家の外をまわって「あ、水って水道管があるから流れるんだ」と気づいて。でも、仕組みに気づいても水は出ないので、もうどうしようもなくて近所のじいちゃんを呼んでくるしかありませんでした。「お前、水抜きしたか?」と教えてもらえて、ようやく水が出たんです。 その時、<気仙沼では生きようとしないと生きられないんだ>と気づいたんです。しばらくは、いままで使っていなかった頭を使うのが苦痛だったんですけど、いろいろなことがわかってくるとおもしろくなって。ありがたいことに『ゲストハウス架け橋』の資金が集まって、建物は自分たちでリノベーションしようとなったんですけど、その頃には私、コンクリート打ちができるまでになっちゃいましたから(笑)。 ゲストハウス架け橋リノベーション時の様子 気仙沼の魅力のひとつに「人があたたかい」というのは多くの人が口にするし、私自身、何度、近所のじいちゃんばあちゃんに助けられたかわかりません。 その上で私が思う気仙沼の魅力があります。私、この町に来て、地域の人に否定されたことがないんですよ。「お前はなにをやってるんだ?」と怪しい目で見られたこともない。ゲストハウスなんて象徴的に怪しいと思うんです。住宅街にゲストハウスができる、誰が来るかわからないって、地元の方からしたらもう恐怖でしかないと思うのに、「よくぞ気仙沼に来てくれた!」だし、私のやりたいことを応援してくれるし、助けてくれる。迷惑かけてもそばにいてくれる。それって本当にすごいことだし、この町の素敵なところだと思います。 ひとつのことを続けるのが苦手だけれど……。 ゲストハウスにいると「地元の人ですか?」と、まるでテンプレートのように同じことを聞かれるんです。「違います」と答えると「どこから来たんですか?」「横浜です」「なんで移住してきたんですか?」「自転車で日本一周を……」という感じ。最初のうちは<なんで同じことを何度も答えないといけないんだろう?>と苦痛でした。 でも実は、話す相手によって会話って自由に広がっていくんですよね。移住に興味がある人もいれば、旅に食いつく方もいる。そのことに気づいてちゃんと頭を使って会話するようになってから、話をするのがおもしろくなったんです。同時に自分を見つめ直さざるをえなくもなりました。<なんで私は、ゲストハウスをやっているんだろう?><そもそも私ってどういう人間なんだろう?って。 実は、私にはずっと、コンプレックスがありました。それは、ひとつのことを続けるのがものすごく苦手ということ。 3年という単位で語られることの多い仕事も2年3ヶ月で辞めてしまったし、最初にお話した自転車で日本一周の旅も途中でやめている。じゃあ、そんな私でもずっと興味を持ち続けられていることはなんだと突き詰めて考えたら、人でした。私は、人が好き。人に興味がある。あぁ、だから誰かがやりたいことなら、誰かの頑張りたいことを応援する形なら続けられるんだって。 最近は、『ゲストハウス架け橋』内でやっている「絵本カフェ」(※子育てママの息抜きの場)をさらに発展させたことで、なにかできそうな気がしています。 私、小児科の看護師だったんですね。その頃は子どもが好きだと思っていたんですけど、本当はそうでもなかったんですよね、たぶん(笑)。好きじゃないというのではないんですけど、一番の興味がママたちにあったと最近気づいて。この子が泣かないでいられたらきっとママが喜ぶからというのが看護師時代の一番の興味だったし、やりがいでした。だから、「絵本カフェ」から広がるママさんのためのなにかには、ものすごく興味があるし、<自分にはきっとできることがある>という予感があります。 そうは言っても、「気仙沼の子育てを変えたい!」だとかの社会貢献を目指しているわけじゃないんです。どうもですね、「社会貢献」という言葉が自分にはピンときません。リアリティがない。もちろん、それができる人は本当に素晴らしいと思うんですけど、私はもっと近いというか、自分の声の届く範囲のことに興味があります。たとえば、うちで働いてくれてる女性が、知り合った当初は髪の毛もボサボサで2人の子どもを背負って、申し訳ないけど地味で暗かったんです。それが働くようになったら化粧もバッチリだし、生き生きとしていて元気で「誰?」というぐらい変わられたんですよ。そのママさんの変化を見た時に「これがしたい!」と思ったんです。 ゲストハウス架け橋と絵本カフェのスタッフみんなで撮った1枚 気仙沼はがんばってる人を応援してくれたり伴走してくれる人が、本当に多い町です。素晴らしいことだと思います。 でも、私は、そっちじゃないほうの人を応援したい。上にあがりたい人を引っ張っていくことは苦手だけれど、下に落ちそうな人をキャッチしてそれ以上落ちなくすることは、たぶん、向いていると思うので。がんばれなかったり、悪いことしちゃったり、怒られるようなことをしちゃった人でも必ず裏側には理由があるはず。そういう人たちに「この人だけは裏切らない」と思ってもらえる人になれたのなら……。 私自身も、日本一周だとかがんばれなかったことがたくさんあるけど、そういう自分も認めてあげることができるようになって、生きやすくなりましたから。
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【7月29日開催!】横浜・気仙沼つながる ∞ ひろがる交流会
\\"気仙沼"なひと、あつまれ〜!// 海でつながる横浜と気仙沼。 横浜にいたって、気仙沼につながりたい。 そんな方々が、横浜でも気仙沼を感じられるようにと、 気仙沼の初夏のごちそうを用意しました。 気仙沼からは、新たなチャレンジを起こしているゲストをお呼びします。 ぜひ、気仙沼つながりで、乾杯しましょう〜! ■イベント概要 <日時> 2018年年7月29日(日)12:00〜14:00(11:30開場) <会場> ナビオス横浜 2F宴会場CANAL(カナール) みなとみらい線 「馬車道駅」4番出口より 徒歩3分 アクセスはこちら! <参加費> 4,000円 (気仙沼直送食材を使った特別メニュー、気仙沼蔵元日本酒を含むフリードリンク) ※会費は当日会場にてお支払いただきます(現金のみとなります)。できるだけ、お釣りのないようにご準備下さい。 ※キャンセル料につきましては、7月21日(土)までは0%、7月22日(日)〜7月24日(火)までは50%、7月25日(水)以降は全額頂戴いたします。ご了承の上、お申込み下さい。 <定員> 30名(先着順) <こんな人にオススメ!> ▶︎気仙沼に住んでいた!行ったことがある! ▶︎気仙沼のおいしいものがたべたい! ▶︎気仙沼の「今」がどうなっているか興味がある! ▶︎気仙沼つながりの人たちと出会いたい! などなど、ふらっと気軽にお越しください♩ 友人同士はもちろん、おひとりのご参加も大歓迎です。 みなさんのご参加、お待ちしています! ■お申し込み 申し込みフォームでの記入を持って申込完了となります。 ▶︎▶︎▶︎申し込みフォーム◀︎◀︎◀︎ お申し込みはお早めに!